今なら分かる気がする
深夜にニルソンの「うわさの男(Everybody's Talkin')」を聴いていてふと思った
この年齢になって、今ならジョーとラッツォのそれぞれの気持ち・・・・って、分かるような気がする
希望、高揚、挫折、ねたみ、寂しさ、・・・そして、哀しみ
*真夜中のカーボーイ(Midnight Cowboy)
また、この映画観たくなっちゃった
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深夜にニルソンの「うわさの男(Everybody's Talkin')」を聴いていてふと思った
この年齢になって、今ならジョーとラッツォのそれぞれの気持ち・・・・って、分かるような気がする
希望、高揚、挫折、ねたみ、寂しさ、・・・そして、哀しみ
*真夜中のカーボーイ(Midnight Cowboy)
また、この映画観たくなっちゃった
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今日、所用があり東京のある街に出かけた
とても11月の気候とは思えない25℃を超える真夏日
そして生暖かい強い風に吹かれながら人ごみに揉まれる
スクランブル交差点での人の群と人の群の交じり合い・・・、巨大ディスプレーから流れ出る大音量の音楽、歩道の三角スペースで大勢を集めているある大学のミスキャンパスコンテスト・・・、携帯電話勧誘の呼び込み・・・、自動車のクラクション・・・、・・・
もう眩暈がしてくるね、田舎者のぼくとしては
・・・思わず見上げればウロコ雲
そして、ふっと頭に浮かんだ詩の一節、ギター曲の一節
「夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に・・・」
(立原道造 『萱草(わすれぐさ)に寄す』 のちのおもひに)
『11月のある日』 L.ブローウェル作曲 (どこかとても懐かしいメロディー)
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先月代わったばかりの民主党政権が早くもいくつもの難題を迎え正念場にさしかかっている。
そこで、ちょっと気になるのはマスコミや評論家のコメント・論評
この国は、右肩上がり(成長路線の)を基調とした政策から、ゼロ成長、人口の高齢化・減少化、環境問題などに対応すべく、大きくパラダイムを転換しなければならない重要なターニングポイントに差し掛かっている。
この大事な時期に、旧来システムにどっぷり浸かった自民党政権からの一新を期待される民主党へ交代すべきと国民が選択した
その新政権が発足して1ヶ月ちょっと。そして国民の期待どおりにうまく進んでいないなあというところも見受けられるが・・・。
しかしだからといってマスコミや評論家がダメ評価を出すの、少し早すぎるじゃあないの。
たしかに問題点を指摘するのは当然だが、なにかマイナス点ばかりを大きく報道しすぎているように感じる。
臨時国会も開催されるので新政権の評価を下すのは、もう少し様子を見てからでもいいのではないのかなあ。
60年もガチガチに固まったこの国の旧来システムを変えていくには少し時間がかかると思う。(だけれどあまり時間掛けられないのも事実)
・・・なんてことを新聞・テレビ報道を見ながら思ったりしている。
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朝日土曜版 be on Saturday に
「若さの不条理にささぐ」という見出しで
あがた森魚の「赤色エレジー」にまつわる話が載っていた
この歌は、同じ時期に流行った「神田川」とイメージを重ねて
あたかも、ぼくらが当時このような経験をしてたかのように
懐かしく感じてしまう。
(決してこのような経験はしていないのにかかわらず)
そして、当時若さの不条理なんて感じることもなかったろうに
今それを懐かしく感じるのは、
ただノスタルジーに浸っているのが
心地よいからだろうか
(おそらくそうだろう)
ぼくは一郎でもなかったし、幸子もいなかった。
新聞には神田神保町の夕闇せまる古本屋街と
タンゴの店「ミロンガ」「ラドリオ」がある裏通りの
写真が掲載されていたが
若い頃特にそこへ行ってたわけでもないのに
その場を訪れると、懐かしく、こころ落ち着く。
ここは、エレジー(悲歌)がよく似合う昭和の街
ぼくも、昭和の人間だから・・・・かも
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これまで歩んで道
これから歩む通?
いつかみた、誰かの影
これからみるかもしれない影?
「昼の月が煙を吐いてゐる」って言ったのは誰でしたっけ?
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ビリー・ジョエルの高いハリのある歌声・・・、心にしみるメロディ・・・、そしてアルトサックスのソロが大変魅力的なポップス、「Just The Way You Are」の邦題が「素顔のままで」
TVCMでもよく使われている
「なんたって、ありのままの君がすきなんだよ」といった内容の歌だが・・・
(英語がまったく苦手なぼくでも知っている単語をつなぎ合わせればだいたいの意味はわかる)
ところで本当に他人の前で自分の素顔って出せるだろうか
子供はありのままの自分をさらけ出す・・・・
やがてひとは何パターンもの装った自分を作り上げ、TPOで器用にそれを使い分けられるようになる・・・大人になるってこと
ある時は得意げを装って、ある時は自信満々を装って、ある時は感傷的を装って・・・・
・・・それってとっても疲れない?
本人は気づていないかもしれないが、いつしか心に疲労が溜まってこない?
大人って、やっかいなものだね
自分のありのままを出すことってなかなかできないし、出す勇気もない
家族に対しても出せない場合だってある
だけどさあ、もうそろそろ自分の素顔って出してもいいかなって
それを受け止めてくれる人がいれば幸せだけど、ひとりになった時でもいいじゃあない
嬉しかったら「うれしい!」、悔しかったら「くやしいー」、悲しかったら「かなしい!」、辛かったら「ツライ~よう・・」って、自分の感情を出してみようよ
ひょっとしたら、自分が最も見たくない自分の素顔も出てくるかもしれないが・・・
だけれどそうしないと、
いつしか自分の本当の素顔って
忘れていってしまうんじゃあないかな
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汚染物質なんかの濃度の単位ではない
Peter,Paul and Mary
ぼく位の歳以上の人たちなら、ほぼみんなよく知っているのではないかな
中学1年ころ、少ない小遣いを貯めて、初めて買ったLPレコードがPPM
金色のジャケットのベスト版、それもなぜかVOL.2(VOL.1はお金がなく2枚買えなくて、迷いに迷ってVOL.2にしたのか、どうかは忘れたが・・・)
なにせ、買ってから数ヶ月はこのレコード1枚しかないものだから
ほんとうに擦り切れるくらい毎日(・・・実際は擦り切れたりはしないが一応よく聴いたよっていう表現・・・)針をおろした
英語は全くといっていいほどできなかったが、意味分からながらも歌詞は覚えた
今でも自然と口にでてくる
・・・・・
So I best be on my way
In the early morning rain
* EARY MORNING RAIN (朝の雨)
今日、ずっとこのレコードを聴いていた
先日亡くなった Mary Travers を偲んで
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秋への装いが始まっている
時はゆっくり流れ、季節は静かに移ろいで・・・
そんなことを感じさせる一日だった
『雲は流れ流れて、何処へ・・・』
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甘泉園公園は、もともとは、徳川御三卿(徳川御三家を補佐する役目。)の清水家の下屋敷であった。そのため、日本式庭園が残っているという、新宿区立の公園です・・・・
・・・甘泉園の名前の由来は、庭園の中央から湧き出している湧き水があり、その湧き水が、お茶を入れるのに適していたからと言うことであります・・・
・・・訪れる時期によっては、石榴の花が見られたり、つつじの花が見られたり、四季を通じて楽しめる公園です。 ・・・だって。
凸凹大学出身の人たち、知ってた?
構内のすぐ隣にあるらしいよ。
先日、呑んだ時に「えーっ、知らないのお、モグリじゃん(なんと古臭い言い方)」なんて、散々に言われちゃいました。
毎日、教室と図書館に通い詰めだったので・・・・はウソで
大学に行くより、飯田橋、高田馬場、池袋の映画館(二番館)に行く方が多かったかな。
浅草の500円三本立てなんていうのも行ったなあ。
爽やかな秋空のもと、授業ヌケ出して(昔のフォークソングみたいだが)、どこかの公園をひとりぶらついていたのを思い出すね。
そこは甘泉園でなかったことは確か ![]()
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9月5-6日とBAYSIDEJAZZ CHIBAが開催された
駅前、デパート、中央公園と無料のライブやっており
(もちろんライブハウスでのプロによる有料ライブもある)
昨日、街の中をぶらぶらしてしていた
プロ、セミプロ、アマチュア・・・と、いろいろなバンドがパフォーマンスしていたが
もちろん、テクニック、完成度など差はあるが
生の音で聴けることの素晴らしさ・・・を改めて感じたしだい
アマチュアのビッグバンド等は素人の緊張感が伝わってくるが、一旦演奏が始まるり、みんなノッテきたな~といったドライブ感は、技量のあるなし関係なく、オーディエンス達も共感・共有してくる
やっぱり、ライブっていいな~、できれば今度は演奏する方になりたいな~
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今日雨の第45回衆議院選挙
午前中、近所の小学校へ投票に行き、午後は降りしきる雨を眺めながら・・・
昔買い揃えたLPレコード、それも日本のポップスをずっと聴いていた
日本のポップス(今で言うところのJPOP)のレコードは数は少ないが、
1970年台後半から1980年代前半くらいまで10枚程度
まさか、30年後の雨の日曜に聴いているなんて当時は当然のこと思いも寄らなかった
そして、当時のそのままに「このフレーズって、いいなー。この歌詞のこの部分って、いいなー。このアレンジって、いいなー」て・・・感じる自分って、あの頃に戻ったよう
ある時は「Night Wing」でやさしく愛をささやき、
ある時は「MANHATTAN GIGOLO」となって命を落とし、
ある時は「RIDE ON TIME」で魂を飛び立たせる
「一本の音楽」を持ってみちのくへ旅立ったのっていつのこと?
「Someday 何かが見つかり・・・」とずっと想い続けて、
・・・この日まで、齢を重ねて来たのかな
少し肌寒い雨の日曜の午後
たまにはこんな気持ちになるのもいい・・・かな
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今年も、暑い、熱い、熱闘甲子園
近年は各地区の格差がなくなり日本全国のどこの高校も僅差の勝負となっている
裏には有力選手の拡散化などの要因はあるかもしれないが
見るほうにしてみれば面白い
(学校教育としての面では異論があるようだが・・・・)
ただ、この暑い中、選手だけでなく、母校を応援する生徒・関係者の熱心さには、ある意味感動さえ覚える
また、実際に甲子園まで足を運んで観戦する高校野球ファンの多さにびっくりする
午前中から内外野スタンドはもう一杯である、近畿圏の高校以外でも
1回も負けなかった1校と1回しか負けなかったその他の高校
今真っ最中、今年はどこの高校の頭上に栄冠は輝くのか
ぼくは、もうアラビアのロレンスの風貌(頭からタオルをかけ、カミサンから拝借したオバサン・サンバイザーをかぶり)で、首後ろにかち割り氷を当てて、それでもかろうじて1試合のみ観戦でした
孤独
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この夏、上野公園の東京都美術館で開催されている「トリノエジプト展」が子供づれの家族でにぎわっている
遺体を入れる棺の側面や蓋にびっしり書かれた祈りの象形文字、副葬品の数々、自分生前決して悪いことはしていませんといった書状など、
紀元前のエジプトの人々が、いかに再生できない死に対して恐れを抱いてきたかがよく分かる
それはプリミティブな神に対する畏れに通じるもので、裏をかえせば平和に無事に生きたいということに通じる
一方、最近の日本(だけではないかもしれないが)では、死について、生について、みんな関心が薄くなっているように思う
災害や事故、病気、または事件で、何人亡くなったとか報道で出ていても、もう日常の一こまになってしまっており、なにも感じなくなってきてる(ぼくも含めて)
「悼む人」ではないが、亡くなった人のことを「この人は無念だったろうな」とか「これからの人生だったのになあ」とか少しでも思えるような気持ちを持ちたい
だから逆に、ぼく自身、生についてもっと執着を持っていきたいし、これから人生を歩んでいく子供たち、若い人たちにも、この展示を見て、もっと生について感心を持ってもらいたい
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また、8月がやってきた
8月6日広島、8月9日長崎
今日の新聞に、「元米兵ら広島、長崎懺悔の旅へ、国内批判受け謝罪せず」との記事がでていた
国家としての戦争被害者への謝罪とか補償は別にして、一般の人々どうしでの謝罪とかは今必要なの?
もっとも大切なのは、誰が悪かったとかではなく、何十年か前に実際に起こったこと、起こしたことをきちっと再認識し、記憶にしっかりと残しておくこと
だから、謝罪するとかしないとか、そんなのことでいまさら両国の一般市民が言い争うのは全く筋違いなこと
日本国民として一番恐れるべきことは、世界中で広島・長崎での出来事が風化してしまうことだ
三宅一生さんのように、世界で活躍しているひとたちにもっともっと発言してもらいたい
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先日のこと
仲間との一杯やりながらのおしゃべり
酔いがまわるにつれて、どんどん楽しくなっていかなければならないのに
その雰囲気を一気に壊してしまうような言動をしてしまうことがあった
あとでとっても後悔・・・したのだが、ああ覆水盆に返らず
これと同じようなことって前になかった?
これってデジャヴ?
・・・じゃーない
はっきりと覚えている
学生時代のことだった
夏休みの1ヶ月、山梨と長野の県境にある山のふもとの民宿で住み込みのアルバイトをしていた。
ぼくのアルバイト最後の夜、寝食をともにしたアルバイト仲間5~6人がぼくのために送別会を開いてくれた
最初は思い出話などを楽しく語り合っていた
しかし、酔いがまわっていくうち、ある話題に過剰に反応したぼくの言動が、その場を居たたまれない雰囲気に変えてしまった
折角の仲間の好意だったのに・・・
翌日、別れの朝、思いがけず仲間から渡された一冊の小型のスケッチブック
1ページ毎に、みんなからの思い出が書き連ねてあった
駅までの長い一本道
振り返ると、見えなくなるまで、ずっと手を振り続けてくれた
ぼくは泣きながら歩いていたのかもしれない
毎日見慣れていたあの山が見えなかった
そして、今朝のこと、すっかり忘れていたそのスケッチブックが、
この何十年、何回も引越しをしてきて、その存在すら忘れかけていたあのスケッチブックが
本棚を整理していたら、ひょっこり出てきた、まさにひょっこり
手に取り1ページずつめくっていく
そしてあの頃へ・・・・戻っていく
あの懐かしい思い出のなかへ
あの苦い思い出の送別会のなかへも
これって、まるで3流青春小説のエピローグじゃあないか
でも、これはウソみたいな本当の話
あのみんなの好意、楽しい場を壊してしまって、
ものすごく後悔して、何十年たったが、
また、繰り返し同じようなことをしている自分に・・・
そして、すっぱい味がよみがえってくる
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夏の夕方、心地よい風に身を任せている
まさに この瞬間
空の青と 流れ往く雲の白を思い
赤い花の皿を擁いた少女を思い
M ・Gが歌う Pretend I don't exist を思い
自分の不甲斐なさ、ダメさかげんを思い
そして・・・・瞑想
こころ静める瞬間
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今日、日本中、皆既日食で大騒ぎ・・・だった
もちろん、こっちは部分日食だったらしいけれど
その神秘的な体験はできなかったですねえ
雲め・・がジャマして
しかし、日(太陽)を皆な食べてしまうって・・・・
月の嫉妬心っていうの、すごいですねえ
でも、この時間(23:30)、太陽も、月も、仲良く? 地球の裏側
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今日は海の日、だったが特に何事もなく・・・・。
ところで7月22日は日食、それも皆既日食が見られるのは何十年ぶりとかで、沖縄の方の島では続々見物人が入島しているらしい。ぼくはこのことについてはそこまで熱心にはなれないなあ。
さて、ぼくの住んでいる地方ではどうなるのだろうか少し気にはなるが、曇り空だったら最初から太陽は見えないので、普段どおりのただの曇りの水曜日になってしまう。
まあ、忘れてて気が付かないまま終わってしまうのかもしれないが・・・・。
そして、これは偶然だが図書館に予約をいれていた平野 啓一郎デビュー作で1999年芥川賞受賞の「日蝕」の順番がまわってきた。まだ読み始めていないが、タイミングとしてはピッタシ。http://www.1101.com/iimatugai/index.html
そして、また、これも偶然だが、土曜日の朝TVに平野 啓一郎が出ていた。京都で開催される「ルーブル美術展」の紹介で。
海の日の今日、読みかけの小説「ぼくと1ルピーの神様」(スラムドック$ミリオネアの原作)読み、たまに音楽「ピアソラのタンゴ」を聴きながら、ゴーギャンの画集を眺めながら、窓から雲を見ながら、ときどきうたた寝しながら、なーんとなく過ぎていった。
そういえば午後はほとんど部屋にこもりっぱなしだったなあ。
そして、夕食後、先ほどからほぼ日刊イトイ新聞の「いいまつがい」を大笑いしながら見ている。http://www.1101.com/iimatugai/index.html
・・・・という、ごく平凡な、まあどうでもいいようなお話。
どうです!、このレコードジャケット、いいでしょう![]()
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ここのところないかと不甲斐ない日本のリーダーたちの迷走に、心も滅入ってくるが・・・
最近、とても心に響いたことがある
ひとつは、天皇と皇后のカナダ訪問のこと
小児病棟で歌った皇后の子守唄、とても優しい歌声
このような天皇・皇后を戴いた日本人として誇りに思う
もうひとつは、デザイナー三宅一生のニューヨークタイムズへの寄稿
自らの原爆体験に触れて、オバマ大統領に平和記念式への出席を呼びかけている
また暑い8月がやってくる
世界的に著名な日本人が、64年前にhiroshima、nagasakiでどんなことがあったのか世界中に伝えること
同じ日本人として誇りに思う。
・・・ぼくたちはなにもできないが
決してそれらを忘れないようにすることが、日本人としての最低限のツトメなのかな
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我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
人間の永遠テーマ
この絵がなんらかの答えを導き出そうとしているのか
やっぱり現物を観ないことには・・・・・・・・![]()
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ぼくは絵画については全くの素人
モネ、マネ、ルノアールの違いもよく分からないといったレベルである
そんなぼくが最近モネの画集を何回も眺めている。といっても、知っているのは睡蓮くらいだったが
しかし懲りずに何回も眺めていると、カミーユ・モネが描かれている絵をまるで恋をするように観るようになってきた。(「恋をするように音楽を聴く」(村上春樹)ではないが)
カミーユ・モネはモネ夫人
彼女モデルとなって描かれている絵を画集の掲載順に並べてみると・・・
1866年カミーユ(緑衣の女性)、1876年ラ・ジャポネーズ、1867年庭の女たち、1879年死の床のカミーユ・モネ、1868-69年夕食、1868年昼食、1870年トゥルヴィルの浜辺、18685-66年草上の昼食、1873年アルジャントゥイユのヒナゲシ、1873年昼食、1873年アルジャントゥイユの画家の家、1873年赤い頭巾モネ夫人の肖像、1875年散歩、日傘をさす女性、1875年庭のカミーユ・モネと子供、1871年瞑想、ソファに座るモネ夫人
1879年死の床のカミーユ・モネ、白いベール(光を受けてやや茜色に)に包まれた夫人の死に顔、どんな想いで描いたのか?
1866年カミーユ(緑衣の女性)、1876年ラ・ジャポネーズ、ちょっとすましたポーズの緑衣のカミーユ、日本の打ち掛けの着物を着た得意げなポーズのカミーユ
1873年アルジャントゥイユのヒナゲシ、ひなげしの花が咲き乱れた丘を下るカミーユと子供、空には白い雲
1873年昼食、花々が綺麗に咲いている庭での昼食後、午後の日なたと日陰、白っぽいドレスのカミーユ、ベンチには畳まれた日傘
1875年散歩、日傘をさす女性、丘の上の日傘をさした少し憂いの陰を宿したカミーユと息子のジャン
(こんな感想文にもならないような拙い文章で恥ずかしいが・・・、特にぼくが好きになった絵)
・・・・・ぼくのモネの絵を観る目が変り、印象も変っていく
おそらく、見る側(ぼくの)のココロの変化も絵の印象を変えていく要因のひとつなのだろう
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クラシックギタリストの荘村清志が「アランフェス協奏曲」をデビュー40年にして初めて録音したとの新聞記事(7/10朝日夕刊)が出ていた
最近の村治佳織、木村大、大萩康司などの若手ギタリストにかくれてあまり名前を聞かなくなっていたが・・・・
ぼくが学生の頃、長髪、甘いマスクの新鋭ギタリストとして人気があった
そしてその記事のなかで、「年をとって遊び心を知り、力が抜けた。これからの人生、もっともっとギターと遊びたい」「年をとると感受性が鈍るというのはウソ。若いときより今のほうが世界がきらめいて見える。・・・・・・」と語っている
まさに、そのとおり、ぼくも(もっとも荘村清志さんとはレベルは違うが)、年をとってきた今の方が、音楽を聴くにも、小説を読むにも、絵画を鑑賞するにも、映画を観るにも、また草花から風景を鑑賞するにも、若い頃より、もっときめ細かく、もっと豊かに、さらにいうともっと艶かしく、自然にココロを開いて、これらを感じることができるような気がする
この感受性をもっともっとこの身いっぱいに膨らませていき、世界がもっときらめいて見えるようになりたい
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今日も朝から蒸し暑い![]()
そんな午前中、散歩がてら読み終わった「グレート・ギャツビー 村上春樹訳」を返却に図書館へ
途中の公園では巣立っていったツバメたちが盛んに飛び交っていたが、もうなんと一匹の蝉の鳴き声が
図書館で、スイングジャーナル、芸術新潮、他文芸誌をチェック。室内はエアコンで心地いいのでみなさん朝から図書館通いですね
そして「藤沢周の焦痕」と「モネ作品集」を借りる
お昼まで モネの画集を眺めながら、Melody Gardot MY ONE AND ONLY THRILLを聴く
(あるときは耳元で切なくささやくように、あるときはウキウキとひたすら可愛く、あるときは・・・・)
午後から、もう公開終了間際の映画「天使と悪魔」を観に
原作と微妙に変えてあるが、テンポがよくて、見所もうまく描いてあって、映画としては大変面白かった
ただ、誰が天使で誰が悪魔なんでしょうか?
帰宅後、夕方まで、練習するたびに下手さ加減がましてきて、もういやになりかけている、ギター初心者向けエチュードを性懲りもなく練習する
30年以上使っているメトロノームの調子が少しおかしいので、CRC 5-56をシュッ、シュッ(掛け過ぎでベトベトに
)
そしてすぐに指が痛くなりちょっと休憩・・・
もう、こうなれば、 Melody Gardot MY ONE AND ONLY THRILLを・・・・・
夕方から、
、久々に西の空がすこしだけ茜色に
夕食後、天地人を見て、読みかけの吉田修一の短編「グリンピース」(なにかヒリヒリするような恋愛物語)の続きを
それから、就寝前に、Melody Gardot MY ONE AND ONLY THRILLを・・・・・
・・・・・・・・・・
kiss me now don't ask me how cause
Baby I'm a fool who think it's cool to fall (in Love)
・・・・そして日曜23時
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今朝、夢うつつ、なぜか谷川俊太郎の詩が頭の中を彷徨う
起きて、本棚の中からもう何年も開いていない詩集をながめていた
まさに、読むのでなく、ながめて
詩は音楽といっしょで頭で考えるのではなく、こころで感じていくもの
ながめるっていうの、ぼくの詩の読み方
そして、歌うように声をだして、詩の一文字一文字を、紙のうえから空間に開放してやる
これが私の・・・・・です ![]()
<これが私の優しさです> 谷川俊太郎
窓のそとの若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほどつよくなっていいですか
あなたのおかげで
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言葉に救われることってよくある
迷ったとき、落ち込んだとき、どうしようもなく自分の感情がコントロールできなくなったとき
.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
今日、以前購入してそのままになっていた村上春樹のアフターダークを読了した。
この小説のなかで以前感動したのと同じ内容の文章にまた出会った。
今回も少し長いが文章を引用してみたい。
ある場面でコウロギというあるところから逃げてきたラブホテル女子パート従業員にこの言葉を語らせている。
コウロギとマリの会話
『それで思うんやけどね、人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。その記憶が現実的に大事なもんかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。・・・・・・大事な記憶も、それほど大事やない記憶も、ぜんぜん役に立たんような記憶も、みんな分け隔てなくただの燃料』・・・
・・・『それでね、もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。・・・・いろんな記憶を時に応じてぼちぼちと引き出していけるから・・・・・なんとかそこを乗り越えていけるんよ』 <村上春樹 アフターダーク>
前回のブログでは同じ村上春樹の音楽エッセイ<意味がなければスイングはない>から引用した。
『・・・個人的体験はそれなりに貴重な温かい記憶となって・・・血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。・・・もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら・・・・耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ』
はたして自分はどれだけ記憶の引き出しをもっているのだろうか![]()
.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.
ぼくは、これらの言葉に出会えたことで、どれだけ救われたか。
自分自身を否定したくなったときに・・・・・・![]()
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薄曇の蒸し暑い土曜日、母校(高校)の文化祭に出かけた。
なんと卒業以来、35年ぶりに足を踏み入れることになる。
以前は通勤の電車から、校舎の一部が遠く見えていたが、今は建物がジャマして見ることもなくなった。
当時は畑か空き地だったところには住宅が立ち並び、そこを抜けると懐かしい校舎が目の前に。
そして校門を入ると長蛇の列???
新型インフルエンザの影響で、入場する際に氏名・住所を記入。そしてカワイイ女子高生から手に消毒液をシュッ、シュッしてもらうなどで、30分は並ぶことになった。こんなところまで影響がでているんだなって感じ。(あたりまえのことだが)
あまり時間がなかったので駆け足で見てまわることになったが、建物はほとんど当時のままで、だいぶ老朽化しているようだった。
(自分もいっしょに歳を重ねているのだな・・・)
校舎を見て回っているうちに、だんだん感慨も薄れてきたようで、まあ人間ってこんなものだね。
ところで高校の文化祭って、昔も今も、そんなにも変らないが・・・・・。
そもそも「文化の祭り」ってなに?
ただのパフォーマンスの場かな?
今度来たときには、「さすが後輩!」と思わせてもらいたいね。
しかし、もう校舎も建て替わって、昔の面影なんかなくなっているのかもしれない。
ある意味、丁度いい時に来たのかな。
*京都大学のは「橘祭」、こっちは「たちばな祭」
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今日、関東地方でも梅雨入りしたらしい![]()
この気候のせいかどうか、通勤時みんなどこか不機嫌そうで、ちょっとしたことでもいざこざになることがある。
肩がふれたか、鞄がぶつかったか、足を踏まれたか、・・・・・。
今、人気が出てきているお笑いのU字工事が栃木訛りで「ゴメンネ、ゴメンネ」と言うネタが流行っている。
この言葉を使う場面には気を付けなければいけないが、どこか愛嬌があって、場を和ませたい時に結構使えそうな気がする。
もっと、みんな素直に「ゴメンナサイ」を言えばいいのにと思う。
欧米、お隣の韓国、中国では後に責任問題が生じることを懸念してか、あまり謝らないと聞いたことがある。他民族が集まっているところはそういう考え方があるのかもしれない。
法的な責任問題が生じるようなことは別として、ちょっとしたことは「ゴメンナサイ」の一言でその場の雰囲気が変る。電車で足を踏まれても、「あっ、ゴメンナサイ」「スミマセン」の一言で、「混んでいるからしょうがないか」と相手を許す寛容的な気持ちになる。
これからの時期、イライラしたり心が落ち込んでくるような時、「ゴメンナサイ」と「寛容な心」って大切にしたい。
ただこれらとは別に同じ「謝る」といっても、その人の人生に係わったような重大な場合。
先日無期懲役に服していた人がえん罪ということで釈放され、その後の記者会見で、検察、警察に対し「謝って済むことではないが、謝ってもらいたい」と言っていた。
ぼくたちもこの言葉の重さを十分に認識しなければならない。
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先週終了した中国残留孤児を扱ったNHKの6回連続ドラマ。
先週、用事があり観れなかったので、先ほど最終回の録画を観終わった。
戦時中に中国に渡った日本人の多くの家族が終戦直前の引き揚げ時に離散してしまい、親と子がその後全く別々の人生を歩んでゆく。
その家族と別れ別れになった悲劇、残留孤児が成長する過程で味わった苦痛、そして日本に帰国する際の養母(大事に育ててくれた)との別離の哀しみ。
自分は日本人だという強固なアイデンティティを持っていた主人公だったがゆえに、なんの為に生きてきたのかという絶望にも打ち勝ち、帰国を果たす。
ドラマのストーリーは、その主人公の娘が中国に留学し、父親の辿ってきた半生を見つめ直していく。
一番の感動は、主人公が帰国するときの養母との別れの場面。血はつながっていなくても子供のときから自分の子のように接してきた母子二人。
この養母の人生って、どんなだったのだろう。
ドラマの最終回で、その後何年ぶりかで再会したとき、「貧しかったでれど、幸せだった」と語る場面があった。
幸せだったという想いが少しでもあれば、やっぱり幸せな人生だったといえるのだろうか?
ただ、不幸な歴史があったのは確かだが、「遥かであっても、中国の家族・友人と日本の家族との間の確かな絆」があったことはみんなの大きな誇りなのかもしれない。
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一昔か二昔前に「サザエさん症候群」という言葉が流行った。「笑点症候群」という言葉もあるらしい。
要するに、翌日月曜からの学校・会社をフッと思い出す時間帯が日曜日の夕方くらいで、ブルーな気持ちになってしまうということ。
だから、別にサザエさん、笑点が悪いわけではない。
同じような意味で、30~40年くらい前のアメリカで「月曜日製造の自動車を買うな」という言葉があったそうだ。いわゆる「ブルーマンデー」の労働者が製造した自動車は欠陥が多かったと言われている。
まあ、今も多くの人たちが多かれ少なかれ同じような気持ちになるだろうし、当然ぼくもそう。
あの、陽気なサザエさんのテーマソングがどこか哀愁を帯びた歌に聴こえてくる?
だけれども、よーく考えてみると、一日何もしなかった、ボーっとしていた、昼間から酒を呑みうたた寝、気が付くと辺りは夕闇だった、の様に無意味に一日を過ごした時ほど、その症候群に陥りやすい。(ぼくは昼間から酒は呑まないが、経験に基づく考察)
充実した一日(要するに、とってもとっても楽しかった)を過ごした日はそんな気持ちになることは少ない。(これも経験に基づく考察)
さらにもっとクタクタに疲れるほど、とってもとっても、もう一つおまけにとっても楽しかった日は、もうそんな気持ちになる前に寝てしまう。(これも経験に・・・・・)
世間では、ぼくのこんな経験で考えられるほど単純なことではなく、専門の社会心理学者だちが、さらに多くの人たちを、もっと学術的に、調査・研究して、今のこの鬱々とした時代を分析していくのだろう。
そして、ある答えを導き出していくのかもしれないが、そんなもんあまり役にたたないんとちゃう
。
そに人にとって、本当に楽しいことがあるのか、どうか。今なければ、探せるのかどうか。結局、自分自身でどうにかしていかないと・・・・・。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
・・・・・・・・村上春樹の新刊が週末発売になるが、買うか、図書館で半年?でも待って借りるか、どうしようかな・・・・・・・・・明日、会社で経費の精算しなきゃ・・・・・おっと、財布の中身がない!・・・・・・・・・・・・昨日のコンペもう最悪
・・・・・・・・・・、
なーんてつらつらとりとめのないことを考えていたらもう日曜日23時・・・もう寝よっと。![]()
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ばら、バラ、漢字で書くと「薔薇」。難しすぎてとても漢字ではかけないなあ。
だけれど、その漢字のイメージとは裏腹にとても優雅で気品のある花。
今日、運転中に車のラジオから懐かしいリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」がかかっていた。
ぼくが中学校か高校くらいの時に洋楽で上位にランキングされていた。ジャンルとしてしてはカントリー(&ウェスタン)で、とってもポップなリズミカルな親しみやすい愛らしいメロディーの歌。
そいいえば、バラといえば、この時期は各地のバラ園ではおそらく満開となっているのではないだろうか。
最近は行かないが、以前何回か近くのバラ園に行ったことがある。なんとも甘い香りがただよい、目に入る色相と相まって、なにかとても幸福感を感じることができる。
よくバラ色の人生なんていいますよね。
だけれどバラ色って、何色?
バラには種類によっていろんな色があり、一概にローズレッドとかいえない。色ごとにずらっと並べると白から真紅まで綺麗なグラデーションになるのでないか。また最近は品種改良でブルー系(紺藍?紫?)のバラもあるらしい。
まあそう理屈は言っても、普通に考えれば「バラ色」といえば「幸せ」ということですねえ。
だけれど、ぼくのとっても好きなスタンダードに「The Days Of Wine And Roses(酒とバラの日々)」があります。
映画音楽のヘンリー・マンシーニ作曲で、、幸せの絶頂にあった夫婦が酒におぼれ、アル中の悲惨な生活を送るようになり、幸せだった日々を思い返すといった、とっても悲しいが、憂いを感じさせる美しい曲なのです。
この歌とは別に、バラ園なんかで、うわっ!ってバラが満開に咲いているのを見ると、とても華やかで、幸福感に包まれるのは確かですね。
今年は機会があればバラ園にでも行って「幸福感」でも感じてみようかな
。
・・・あっ、それともう一つ「バラが咲いた!」なんて、マイク槙だったかな、そんな歌もありましたね。あれって失恋の歌でしたっけ。
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この歳になって初体験もないものだが、いわゆる昔深夜放送で流行った「私のロストバージン」とかいう艶めかしいものではじゃあないので・・・。
先日来、頭痛が取れず、なにかいやな感じが続いていた。
もともとぼくは偏頭痛持ちで、月に1~2回やってくる。もう慣れたもので、頭痛がくる前に予兆を感じることができるし、ある程度の処置方も分かっている。
が、今回はいつもの偏頭痛とは違う場所で、痛さの種類も違っており、しかも数日続いているっていうのが、ちょっと気持ち悪い。
・・・ということで、今日脳神経外科に行ってきた。
そこで、早速「MRI初体験」ということになった。
今まで、人の話によれば、何かおどろおどろしい感じで、なかには非常な恐怖感を感じる人もいるとか。
実際に目の前にすると、それ程のモンではないなーって感じ。なんの威圧感もないただの検査機器(当たり前)。
台の上で、「身体が動かないように固定します」ということで、ベルトで手・胴体を固定。
うーん、なにか、団鬼六、谷ナオミの世界???。
もっときつくしてもいいですう
って、感じ。
次に頭の周りを固定。
「つばを飲み込んでも頭動くことがあるので注意してください」
そんなこといわれると、余計に口の中につばがたまってくるし、なにか鼻のあたまがむずむずしてくる。
なにか、もう、完全にMの世界。(そのうちそれが快感に変ってくるのかなー
)
顔を覆われると、自分の鼻息が中でスースー響く、これはそうだスターウォーズの暗黒卿「ダースベイダー」だ。
彼もこうやって、人間だったころの善の気持ちを抜き取られ、悪に染まっていったのかな。
おれも、このガーガー、ポンポン、タンタンの音のなか、暗黒卿として改造されていくのかな、なんて馬鹿なことを考えながらも、程なく終了。
まあ、結論からいうと周りが言うほどのことはなかったわなあ。
ただ、ガーガー、ポンポン、タンタンの音を、たとえばコルトレーンのソプラノサックスとか、マイルスのミュートのトランペットとかの音にしてもらえればいいなあ、と思うのです。
ところで、診断結果は、・・・・。
ぼくがその日最後のお客?だったので、早く終わらせたいのか、先生から猛烈な早口で説明されたが、まあ緊張型頭痛ということで、肩こりかなんかが原因ということだった。
あーあ、血管切れてなくて、詰まってなくて良かった![]()
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今年も神田祭(金曜日~日曜日)が行われている。
金曜日お昼時、会社の近くを神輿が通ったのでしばし見物していた。
見ているだけで、なにか血が騒ぐというか、テンションが上がってくる。
おそらく年に1回とかのお祭りなので、神輿を担ぐ人、見ている人、みんなを余計に興奮させるのだろう。(年がら年中じゃあ、疲れちゃうよね)
だけど、この一年に一回のイベントを行うのに、準備に苦労している、表にでてこない多くの人たちがいるのだろう。
ぼくたちも普段、仕事ではなく、仲間同士で遊びをするときなど、その場をセッティングするまでに多少の労力が必要な場合がある。
たとえば花見をするときは場所取りをする人もいるし、買出しに行く人もいる。最初から何もしないでその場が用意されているわけではない。
同窓会なんかもそう。
地元の地域イベントなんかもまさにそう。
だから、たとえ仲間うちのイベントでも、大いに楽しんだ後はその場を用意してくれた「縁の下の人たち」への感謝を忘れてはいけない。
これは「大人の遊び」に欠かしてはいけない大切なマナーなのだ ![]()
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年老いた、とってもカッコ悪いハリー・キャラハン(ダーティハリー)。
イーストウッドが涙を流すシーンを初めて見た。
・・・・・・・・・・。
ぼくもあふれ出る温かい涙をぬぐえない。
この映画は間違いなく五つ星。
今、これ以上の映画は考えられない。
テーマ曲もなんと素敵なんだろう。
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今年は五月晴れ(厳密には旧暦の5月、新暦の6月梅雨時の晴れ間をいうらしいが、まあ細かいこといわずに・・・)に恵まれて爽やかなゴールデンウィーク(古臭いネーミングだなあ)となっている。
*カッコ書きが多くなんと読みにくい文章!
その爽やかな5月初日に友人たちとゴルフにいった。
ぼくはどうもこのスポーツとは相性が良くないようだ。
ゴルフは、基本的には自分ひとりがいかにストイックになりそのワザを極めていくか、究極は自然との調和をはかりながらの自己との戦い、ということらしい。(なんか、ぼくの頭ではよく理解できないが)
そして何十回打ったか分からなくなっても、「もう降参!」なんて口が裂けても言えない。
グリーンの上をあっち行ったり、こっち行ったり、もくもくと玉ころがしを続けてることとなる。
なにも、ここまでストイックにならなくてもいいのに・・・。
だけど、まあごくごくたまには、第一打思いっきりボールを引っ叩いてフェアーウェー一直線。メンバーは一応とりあえず儀礼的に「ナイスショット!」の掛け声。
ふん、練習なんかしなくてもこんなもんだい・・・なーんて。
しかしホールアウトするときには、とても暗算で計算できるようなスコアーではなく電卓のお世話ならなければならないほどに・・・とほほ![]()
・・・ゴルフは飛ばせばいいってもんじゃない。上がってナンボなんだよ、だって。
だからといって、とても練習場で何時間も何百球ももくもくと玉を打つ気にもならず、まあぼくはこのスポーツがむいてないのかな・・・![]()
・・・・・・・・・・・![]()
たけどねえ、ホントいうととても楽しいので皆さんまた誘ってちょうだいな![]()
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ぼくはタバコを吸わない。というか高校生の時から吸いはじめウン十年後、今から13~4年前に禁煙した。それから1本も吸っていない。
これは別にぼくの自慢話ではないのだが。
最近よく思うに、今の喫煙者はとってもかわいそう
だなあ。
どこへ行っても嫌われ者。今、都心をはじめ大都市では路上でさえ禁煙となっており、罰金も科せられる場合もある。
満員電車でストレスがたまった朝、ホームの端でホット一服、もできなくなった。
ぼくが喫煙していた若い頃はころは、大威張りで吸っていた。
ただ結婚して子供ができたとたん、ホタル族となった。もちろん車も禁煙。
まあ、これは個人的な事情なのでしかたがないが・・・・。
そして今は人の集まる都会だけでなく、ツバメが飛び交う田舎まで Smoking Area ができていた。
(P.S.ツバメの巣も大きくなってきて、いよいよ雛がかえる時期が近づいてきました)
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なぜか突然、「八ヶ岳」。
ピンク色から躑躅の赤紫色、紅色、白色と世間はあっという間の模様替え。そして遠くの山々はまさに新緑(青い山脈なんてのもあったが・・)の世界へ。
ここで、なぜか八ヶ岳なのだが・・・・。
はるか数十年前、学生だったころ、八ヶ岳のふもと野辺山ということろで、夏1ヶ月と冬2週間くらい、弓道の道場(合宿所)で住み込みのアルバイトをした。
宿舎の目の前がまさに八ヶ岳。
朝、昼、夕と刻々と変化する山を毎日眺めていた。そして7月末の夏の盛りから8月末夏の終わりまで、1ヶ月、ゆっくりとうつり変る姿も・・・。
さらに、冬の雪を頂いた八ヶ岳も。
大学の授業が始まりいつもの生活にもどり始めた頃、その姿を写真ではなく、もっと心情的なイメージでこころに焼き付けておきたくて、たまたま同じアルバイトにきていた美大生に無理を言って、八ヶ岳の絵(油絵)を描いてもらった。
なのに、その絵は何年もずっと実家に置きっ放し。最近はその存在をすらすっかり失念してしまっていた。
・・・ということで、急にこのことを思い出し、今日土砂降りの雨の中をさっそく実家から「八ヶ岳」の絵を引き上げてきた。
そして先ほどまでずっと眺めていた。いろいろな出来事を思い出しながら。
そう、まるで、映画「シネマパラダイス」のラストのシーンのように。
これらの思い出は、僕にとってとても大切な宝物のひとつだということ胸に刻みながら。
*H.T.さんの作品(油絵) <赤い三角屋根の農家がとても懐かしい>
*特別付録 <そしてバックに八ヶ岳なのだ>

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また、児童虐待で子供が犠牲になった。
たしかにこの種の問題は、様々な要因、たとえば育児ノイローゼとか極度の貧困とか、を含んでおり簡単に結論付けることはできない。
だが、絶対に許せないのは、大人、それも親のエゴイズムの犠牲になること。
子供は親の都合(エゴ)に翻弄され、挙句の果てには、そこしか帰る所のないたったひとつの場所、家族が守られる場所で、絶対にあってはならない虐待を受ける。
もう逃げ場のないところで。
その小さな胸の中には、将来はこうなりたいとか、これをしたいとか・・・子供らしい夢を抱いていたろうに。
その子供の気持ちを考えると、悔しくて涙がでる。
今、大阪で起きた事件の報に接して、非常に腹立たしく、悲しく、虚しい気持ちで一杯になっている。
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「スラムドック$ミリオネア」「レッドクリフⅡ」の感想。
さて、「スラムドック$ミリオネア」だが、アカデミー8部門受賞ということと、インド映画ということで、少し興味をもって楽しみに観に行った。
物語は、ミリオネアというTVショーを絡ませた、ジャマール、サリームの兄弟とラティカという少女、3人の波乱万丈の青春記といったところ。
そこに、スラム街、マイノリティーのイスラム教徒に対するヒンドゥ教徒の迫害・暴力、身寄りのないストリートチルドレンを食い物にするマフィア・・・・・など、インドの抱えている暗い面も描き出している。
映画の作り方は良くまとまっており、ストーリーも最後まで楽しめた。
・・・が、アカデミー8部門という割には、やや小粒な感じがした。(しかし超大作だからっていいものとは限らないが)
そのなかで、個人的に特に印象に残ったシーン。
ヒンドゥ教の暴徒に襲われ、母親が撲殺され、ジャマール、サリーム兄弟が逃げ惑う。やっとコンテナ?に逃げ込む。外は雷が鳴り響く土砂降り。その雨の中、ずぶ濡れになって立ち尽くす身寄りのない少女。弟のジャマールは呼び寄せたいが、兄のサリームはほって置くようにいう。少女はそのうち座り込んでしまう。雨は一層激しく降り続く。ジャマールはたまらず呼び寄せる。ラティカ(少女)はホッとしたようにかけよる。
非常に印象的な美しいシーンだった。
それと、ジャマール、サリーム兄弟が列車の屋根に無賃乗車して、旅にでる?(ムンバイを出て行く)場面。真っ青な空の下、緑あふれる山あい、原野を列車が進んでいく。まるで「世界の車窓から」の様。
アメリカの映画でもヨーロッパ映画でも、また日本の映画でも列車を使った大変印象的なシーンが数多くある。
人生のターニングポイント(転換期)的なところで効果的に使っているように思う。
まあ、とりとめのない感想になってきたが、ひとことでいえば「面白かった」ということかな。
それと、最後にキッチリとインド映画に欠かせない歌と踊りが出てきたのには、思わず笑ってしまった。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
さて、レッドクリフⅡだが、Ⅰを観たので、まあ取り敢えず続編のⅡも観なければ・・・といったところ。
相当なお金を掛けて撮影、CG作成した戦闘場面が一番の見せ所だが、たしかに派手な戦闘シーンは続くが、「5万人対80万人という圧倒的な不利からの戦い」という緊迫感が乏しかった。
大まかに言えばエンターテイメント映画としては面白いと思うが、なにもⅠとⅡに分けなくて1本にまとめてもよかったのでは・・・・。
それ以上の感想は特にない・・・ということかな![]()
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今日は久しぶりに冷たい雨で肌寒い一日。
それとは関係ないが、先日左腕が水平より上がらなくなり、いよいよウン十肩か!とやや複雑な気持ちになったが、普段の生活ではあまり支障なく知らないうちに治っていた。
しかし、ソウコウシテイルうちに今度は、右耳が炎症を起こしているらしく痛くなり聞こえにくくなってきた。
さっそく耳鼻科へ・・・・。
「中耳炎ですね」ということで、抗生物質と耳薬で治療ということになったが、治るまで1ヶ月近くかかった。今日、耳鼻科に行き「これで問題なければ通院しなくてもいいでしょう」ということになったが、どうやら鼻・耳の内部構造が中耳炎になり易いらしい。
しかし耳の不自由な方の不便さが身にしみてよくわかった。
今日のように冷たい雨が降る日は、左ひざが痛むとか、肘が痛くなるとか、盲腸の傷が・・脛のキズが、こころの古キズが
・・・・(おっと、これは関係ないです)
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最近、よく思うことがある。
人は生まれてからそれぞれ未知の人生を歩んで行くわけだが、
結局行き着くところ、「こころおちつくところ」をみんな探し歩いているのでないか。
どんなに大成功を収めた大富豪でも、権力のトップに立った独裁者でも、未知の大陸を発見した冒険家でも、そして平凡な人生を歩んできたぼくたちも。
だけれども、幸せの青い鳥ではないが、それは身近にあるもの。
「こころおちつくところ」で好きな音楽を聴き、好きな本を読み、そして気心の知れた友人との会話・・・。(それはそれぞれの人がそう思えるところ)
だが、昨日がそうであっても、今日はそうでないかもしれない。
だから、これからも毎日「こころおちつくところ」を探しつづけていくのだろう。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
大学を卒業し社会人になったあと、この街に来たときはここでよく仕事をサボっていた。
つい最近、近くに行ったついでに、久しぶりに寄ってみた。
そこがぼくにとってその日の「こころおちつくところ」だった。

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今年は満開のさくら
の中あちらこちらで入学式がとり行われている。
幼稚園、小学生
なんかは初々しくて見ててもとても可愛い。
ところで偏差値トップ(別にどうでもいいが)の東京大学をはじめ各有名大学の入学式のもようをニュースが伝えていた。
両親、祖父母をはじめ親族まで、まるで結婚式の披露宴でも列席するような服装で会場に来ているとのこと。大学側も会場には学生ひとりに父兄二人までという制限をもうけているとか。
まあ、新入学の門出を祝ってあげるのはいいことだが、まるで一族の誉れ・・・みたいな騒ぎように思える。
学生本人は気にはならないのだろうか、嫌がらないのだろうか?
たびたび昔の話で恐縮だが、ちなみにぼくの場合、大学の入学式には両親は来なかった。そしてぼくの服装は、いつものジーパンにせいぜい着古したジャケットくらいなもの。
今みたいにスーツ姿なんてヤツはいなかったなあ。
この風潮はぼくとしてはちょっと気になる![]()
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昼間の喧騒がまるで嘘ように静まりかえったさくら並木。
街灯の薄明かりに照らされたさくらの花の下で、酔い醒ましのひとり夜桜。
昼とは違った夜の顔。静寂のなかどこまでも妖艶で人の心を惑わせる。
・・・余計に昼間のさくらがどこか白々しく嘘っぽく思えてくる?
たれか知るらむ我が心の深きところを
・・・なんちゃって、Akiko Grace の Evanescence of Sakura を聴きながらの、ちょっぴりセンチメンタルな気分に浸った7分間の夜桜見物でした。
もっとも、「変な男が暗闇に座ってる」と通報される前に帰宅しましたが・・・。
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ぼくが通勤で使っている自宅の最寄り駅。
4月1日、あれっ、駅のホームって終日禁煙になったんじゃあないの。
んんっ、相変わらず喫煙エリアは残っており、遠くに視線を這わせながら皆さん旨そうにタバコ吸ってる。
おそらく、喫煙エリアの撤去工事が遅れているのだろう、なにせ各駅一斉に撤去するわけだから。
・・と思っていたが、2日になっても、3日になってもそのまま。
あー、そう言うことか。
この駅はJRが言うところの終日禁煙対象「東京近郊各駅」ではないんだ。
いわゆる東京近郊・・のその先のローカル線?・・・なのね。
最近朝、人身事故や車両故障で電車が遅延し遅れて出社すると「強風で電車、遅れたんすか、大変っすね」とか、夕方「風が強いんで早く帰った方がよろしいじぁないですか。電車止まりますよ」
・・・などと、皆さんビミョーな心配をしてくださる。ローカル線通勤のぼくに。
しかし、都心に近ければいいと言うもんじゃないね。
今は電車の中でいっぱい本が読めるし、CD一枚分くらいは楽に聴ける。
そしてさくら並木は見事だし、春の花たちは綺麗に咲きほころび、・・・酒は旨いし、ネーチャンはキレイだ(なーんて。昔、こんな歌ありましたね)
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ヤマツツジ。
ぼくがまだ若かった頃。まだ新入社員だった頃。
「山躑躅を見に行きたいわ。まるで燃えているように山一面が真っ赤に染まるの。」彼女は言った。
へぇー、そんなところ本当にあるのだろうか、と思いながらも、ぼくは一言「そうだね」
結局、山躑躅は見に行くことなく、そのままになってしまったが・・・。
今日、薄曇りのビル街の路地で小さな蕾を一つ付けた躑躅を見かけた。
その脇を紺のスーツを着た新入社員の一団がすり抜けていった。
ところで山一面に真っ赤に群生してる山躑躅っていうの、本当にあるのかな?
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ここのところやや体調がすぐれないので、この土日は自宅でおとなしくしていようと土曜午前中に図書館へ行った。
もっとも、予約していたリチャード・バワーズの「われらが歌う時」が先に下巻の順番がまわってきてしまっていたので、上巻が来るまでの保管をお願いするといった用事があったからだが、ついでにこの土日用に「バルテュスの作品集」と吉田修一、藤沢周を1冊づつ借りた。
ぼくは絵画については全く無知で、バルテュスについても、たまたま今年ぼくの部屋に飾ってあるカンレダーがその作品集であるというだけで、そのほかの知識はない。何年か前、NHKのドキュメントでまだ健在の日本人の奥さんを、スイス(だったかな?)の自宅に取材していたのを見たことがある程度。
なんとも不思議な絵で、まるで夢の中に出てきそうな人物(少女が多い)、建物、風景だ。特に少女の挑発的なエロティックさはなんともドキリとさせる。それと人物の特徴的な独特なポーズも印象的。
バルテュスの作品集を見た後に読みかけの堀辰雄や借りてきた吉田修一、藤沢周などの小説を読んでいると登場人物がどうもバルテュスの絵に描かれている人に見えてくる。
ところで、ぼくはこのように絵画もそうだが、音楽にしても、映画にしても、小説にしても、その作品の解説はあまり読まない。・・・というか、読むのが面倒くさい。
だから、だいだい作家と作品くらいは分かるが、体系的に学術的な把握はしていない。
よするに、ただ自分の好みの作品を眺めている、聴いている、ただそれだけで十分なのである。まあ、鑑賞の仕方からいえば、ちゃんと作品を理解していないし、大変アバウトで適当なのだろう。
作家、作品の解説を読んでも、聞いても、すぐに忘れてしまうし、もっともはじめから覚える気がない。
だから、作品の解説書を読む時間があれば、自由気ままに、少しでも多くの、興味のある絵画を見たり、こころ惹かれた音楽を聴き、こころときめかすような小説を読むのが一番の楽しみ。
これが、ぼくの聴き方、観方、読み方。
(先日、草花の名前を覚えようなんて殊勝なことを書いてしまったが、おそらくカタカナの難しい名前などぼくには覚えきれないだろう。あの遊歩道のあの場所に毎年3月下旬頃に咲く、あの群生しているやや赤みがかった黄色の小さな花たち、なんて感じで相変わらず記憶していくことになるのだろう)
(それとずっと好きなアルバム、Hi-Fi Set sings Yumigの特に好きな7曲目が「スカイレストラン」という題名だったことを最近やっと知った)![]()
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昨日夕方、神田須田町の柳森神社のそばを通りかかったら近所の町内会だろうか、小振りの一本のソメイヨシノの下に花見の準備をしていた。
昨日見た時はまだ4分咲きくらいで花見にしては少し早すぎないか?と思っていたが、今日昼間の明るいときに見るともう7〜8分咲きに。
あたり一面、どこもかしこもさくら色に染まるのももう間近か。
夕闇のなか、川面を渡る気持ちのいい春風に頬を撫でられながら、さくら並木をそぞろ歩き、なんていいな。
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こんな言い方があるのかどうか、分からないが・・・。
WBCで侍ジャパンが見事優勝した。
もう、現地のドジャースタジアムだけでなく、日本中、日の丸一色となった感がある。
どんなに学校で愛国心を教育しようとしても、このスポーツナショナリズムにはかなわない。
しかも、学校教育というとどこか日本の暗い過去を引きずっているようで、そして愛国心を唱えている人たちが、どうも個人的には胡散臭く感じてしまう。
オリンピックをはじめ、高校野球にしても、このスポーツナショナリズムは、理屈ぬきに、一瞬で愛国心、愛校心を芽生えさせる。
スタジアムでは、みんな国旗掲揚では起立をし、国歌を聴いているし、(選手は胸に手を当てて敬意を払っている)、相手国の国旗に対しても敬意を払っている。だれも強制しなくとも。
ある意味、健全なナショナリズムと言えるのだろう。
ただ、ナチスドイツ時代のベルリンオリンピックのように、国がスポーツを利用し国民にナショナリズムを醸成させていくこともあることを十分に注意しておかなければならないが。
まあ、ともかく今回のWBCは結果も出せたし、日本中を沸かせた。また最近のもやもやした日本をいっときでも明るくさせた。
人気のない首相の某政府の効果のない経済政策
よりも、このWBC侍ジャパンの活躍がひょっとしたら相当な経済効果
をもたらしてくれるかもね。
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昨日、ちょっと早いかなぁと、思いながらも、友人達と花見にでかけた。
案の定、ソメイヨシノの蕾はまだ乙女のごとく固くとじており、曇り天気、公園の閑散さと相まって、いっそう空々しい。
そんな中、公園の隅では、花見客向けの飲食屋台の準備が進められていた。
そう、祭りの準備だ。
トラックから屋台の骨組み、椅子・ベンチなど、手慣れた感じで手際よく若い衆がつぎつぎに降ろしていく。
着々と屋台が組み立てられていく。
あたり一面ウスピンク色ショータイムの開演はもう間近。
![]()
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
ところで昨日は結局、いつものお決まりのパターン。
今朝、あー、頭が痛い! ノドも!! ![]()
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こういう季節の変わり目には、子供のころの風景がよみがえることがよくある。
子供の頃住んでいた自宅の周りは自然がわりと残っていて、春にはいろいろな草木が芽吹き、花が咲いていた。といっても、今時、花屋さんやガーデニングショップで売っているような草花でなく、いわゆる雑草といわれるもの。
空き地一面に広がっている雑草の上を走ったり、寝転んだり。暖かい春風が寝転んだ顔を撫でていく。どんなに気持ちよかったことか。
そして、ちょっと葉っぱ・茎・花をかじってみる。あの苦いような、エグイ味はいまだに記憶によみがえる。
それらの雑草花は毎年、同じ季節に、同じ場所に生えてくるので子供達はよーく知っている。
・・・が、名前は知らない。
:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+
これから春本番、草木が芽吹き、溢れるように花が咲き誇る。
そしてみんなそれぞれ素敵な名前を持っている。
少しでもその名前を覚えていってあげようか。
ぼくの記憶の中にある名前も知らない雑草達への感謝を込めて。
・・・なんて、少しカッコつけすぎかな。
(春なのでどうぞご容赦のほどを
)
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ここのところ暖かい日が続き、桜前線も北上を開始したらしい。
しかし、あれほど早く暖かくならないかな、寒いのヤダなあ、重いコート早く脱ぎたいなー、なんて思っていたのに。
どうも、ぼくは性格が素直でないらしい。
今まさに、愛らしい紫の花をいっぱいに咲かせ、甘酸っぱい香りを放っている沈丁花に、うっすらと綿帽子のようななごり雪を被せてみたい、なんて思っている。
:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+
ところで、ずっと勘違いしていたのだが・・・・・。
堀辰雄の信濃路にでてくる「辛夷の花」
堀辰雄がずっと車窓から景色を眺めていたのに辛夷の花が咲いているのを見損ない、奥さんからちょっとからかわれたことを面白く綴った文章であるが、今までぼくは雪景色のなかに辛夷の花が咲いていたのだと思っていた。
雪の中だから辛夷の花は咲いているはずもないし、咲いていても白の中の白だから見つからなかったのだと思っていた。
あらためて読んでみると、雪なんて一言も出てこない。
何十年も、ずっと、春になると、「辛夷の花と雪」というイメージを思い浮かべていたのに。
ところで近所の街路樹は辛夷であろうか、白木蓮であろうか、それとも違う花木・・・・。
*堀辰雄、大和路・信濃路から「辛夷の花」
・・・・・・ 「むこうの山に辛夷の花がさいているとさ。ちょっと見たいものだね。」「あら、あれをごらんにならなかったの。」妻はいかにもうれしくってしようがないように僕の顔を見つめた。「あんなにいくつも咲いていたのに。……」 ・・・・・・
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今日は一年ぶりの人間ドック。ついこの間、受診したようだが。一年って早いものだね。
会社を休み、朝、多少の不安を抱えながら、会社のメディカルセンターに向かう。
普段は、医者の言うことなんて真に受けちゃあだめなんだよなぁ、と強がりを言っているが、パンツ一丁になってぺらぺらの甚平みたいな検査着に着替えたとたん、狼の前の子羊、領主様の前の小作人、女王様の前のM男?。
悲しい性(さが)だねぇ。
今日のメンバーはぼくの他に四人。歳は同世代かやや下。知らない者同士。
なにかみんなライバルみたい。あいつには負けないぞと、思わずリキム。・・バッカみたいだね。
ところで、腹部エコーってちょっとキワドイ。これが男の医者だったらどおってことないけれど。
問題は若い女性医師の場合。
薄暗くした部屋で、検査着の前をはだぎ、ぬるぬるのゼリー状のものを塗りたくられる。
そして、耳元でささやくように、ハイ、ゆっくりと吸って、吐いて。ハイ、そのまま、そのまま、動かないで・・・・
。
その時、ぼくは自分に言い聞かせる。
気をしっかり持てよ。ここは病院の検査室なんだからな・・・。
さて今回は、・・・・・・。
今日まぁ、多少くたびれているところもあるが、メタボもセーフ。詳細は後日連絡とのこと。
なにか、まるで今日の天気みたいな、ボケーとした、ユルユルの緊張感のない一日だった。
市ヶ谷の土手も桜開花前、緊張感なくダレッとしてた。(写真)
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以前から心配していた不法滞在のフィリピン家族のこと。結局、両親はフィリピンへ出国、中学生の娘は日本に残ることになった。
大半の世論が、日本は法治国家であり、その法を犯して不法入国し不法滞在していたのだから、心情的なものはあっても、今回の処置は仕方がない、というもの。
中には、もっと早く強制送還させるべきだったとか、
中学生の女の子を一人残すとはなんと非常識な親なのだろうとか、
さらにマスコミのお涙頂戴的な報道に対する批判もあった。
しかし、まじめに働き、家族を守り、しかもちゃんと税金も払ってきたのである。子供も普通の日本人となんら変わりなく育ってきた。
この家族がこの日本に滞在していることによって、どんな国益を損ねたというのだろう。
日本人はもっと優しい国民ではないのか?
ぼくは、今回の決定が大変悲しい。
これが「壁と卵」であれば、ぼくも「卵側に立つ」
- - - - -
*村上春樹さんのエルサレム賞受賞式でのスピーチ
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php
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たまたま乗ったタクシーのラジオで、男と女どちらがよく謝るか、というアンケート結果を言っていた。
それによると、女の方がよく謝るらしい。
本当かなあ。それって逆だろう、と思わず突っ込みたくなる。
まぁ、だけど男の謝りは軽く、なんでもとりあえず謝っておけばいいといった傾向がある?
しかし女はなかなか非を認めず謝らない傾向がある?
・・・と思うのだが。
- - - - -
男の妻は朝からなにやら機嫌が悪い。
男になにか言ったようだがよく聞き取れなかった。これといってやましい事は思い浮かばなが、まあここはとりあえず謝っておいた方がいいと思い、「ゴメン、ゴメン」。
「なんといいかげんな。あなたは人の話をちゃんと聞いていない
」と2倍怒られる羽目に。
そしてこれは昔の話。男は「今日も渋谷で、く、じ♪」と鼻歌まりにデートの待ち合わせ場所へ。
30分たっても、1時間たっても、彼女はあらわれない。
男は彼女のアパートに電話を入れると(当時は携帯なんて便利なものなかった)、すぐ彼女がでて「あっ・・・、ゴ、ゴメンナサイ。きゅ、急に・・・親戚の伯父さんが・・・上京してきたので・・・むにゃむにゃ」
男は以後二度と彼女の顔を見ることはなかった。![]()
断っておくが、その男はぼくじゃぁない。
まっ、男も女も、どっちもどっち、かな。![]()
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今日、夕方から広がった雲間に丸い月がその姿を覗かせている。
64年前の3月10日夜半、東京大空襲で約10万人が亡くなった。
ごく普通の家族がまるで地獄絵図のようになることなど、今では想像もつかない。
そして遺体が仮埋葬されたままで、現在公園になっているところが多くあるとのこと。
これらの事実は決して風化させてはならないと思う。
今も、世界のどこかで、同じように普通の家族が涙を流している。
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人を思いやるこころ、人を気遣うこころ。
難しい命題だなあ。
自分も思いやってもらいたい、気遣ってもらいたい、優しくしてもらいたい。
だから、人にも優しくする。
大切に思っている人だから、自分も大切に思ってもらいたい。
しかし、どんなにこころを尽くしても伝わらないときもあるし、また誤解されることもある。
ちょっとした言い回しが人を傷つけることも・・・。
人のこころの中って見えないから。
よく分かっているようで、分かってないことが多いから。
人との触れ合いって、こうやって考えると難しいね。
自分の力でどうすることもできないことが多いから。
だからこそ、本当に言葉っていうのは大切にしなければならないんだけれど・・・。
(考えるより先に言葉が出てしまう傾向があるぼくにとっては・・・反省
)
ところで、中島みゆきの「時代」って好きな歌だが、特に好きな部分。
「・・・だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう」
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今日は、久々に暖かな土曜日となった。
午前中、カメラを持って、自宅周辺をフラフラ。
ボサノバを聴きながら。
春はもうすぐそこに・・・。
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朝から本降りになった雨も夕方からは上がり始めた。
今日は金曜日。
このような週末、誰かと、最近観た映画の話、読んだ本の話、聴いた音楽の話、また世間話でも?、酒を呑みながら、ただだらだらと話をしていたいなぁ、人恋しいなぁ と・・・。
友人に連絡してみようと手にした携帯だが、ふと思い止まった。
そうだ、今日は静かな金曜日にしよう。
誰かと語らうのは、もう少し暖かくなってから。(すこしガマン)
今日は夜が更けるまで、部屋で、静かに、音楽でも聴いていよう。(もちろんヘッドホーンをつけて)
いろいろなこと?を思い浮かべながら。
’Round About Midnight !
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民主党代表小沢さんの公設第1秘書が政治資金規正法違反の疑いで逮捕され、マスコミに大きく報道されている。
なんでこの時期に? なんで衆議院で予算案を三分の二で可決する日にあわせて? 検察が動くか、という疑問があるが・・・。
今まで何回も繰り返され見せられてきた光景。
国民、有権者は、あまり報道に振り回されずに、よーく本質を見極めなければならない。そうしないと、今まで同様に「政治不信」という言葉で丸め込まれてしまう。
本当に国民の多くが納得できる政治ができる政治家・政党は?
いずれにしても選挙で勝ったものが勝者。
国民はしっかりと見ているぞ!!!
しかし、全然関係ないが、こんなことを考えていたら、急にABBAの The winner takes it all が聞きたくなってきた。
そういえば、ひょんなことから観ることになった「マンマ・ミーア」でメリル・ストリープが崖の上の教会へ続く長い階段の途中で情感豊かに歌っていた。
てっきり吹き替えだと思っていたが、なんと本人が歌っていた。なかなか感動的なシーンだったなあ。(映画そのものについては賛否両論あるが)
歌詞もメロディもとっても良い、ABBAの大好きな歌のひとつ。
テレビのニュースがおもしろくないので、youtubeで繰り返し何度も聞いてみる。
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先週は荒井由実の「冷たい雨に打たれて、街をさまよぉったの〜♪」で、今日はアダモの「ゆ〜き〜はふる〜、あなたは〜こない♪」。
ここのところ、昨日を除いて寒い日が続く。
そんななか、今日はひな祭り。
ひな祭りというとなにか春らしい暖かな日、といったイメージがあるのだが・・・。
はるか昔、雪の桜田門外の変はひな祭りの日だった。大河ドラマ篤姫でもやっていた。(もっとも旧暦なので新暦だと4月くらいらしい)
ところでぼくの子供の頃、ひな祭りは男子禁制だった。
別に男子が呼ばれないことはどおってことはなかったが(強がり?)、ナイショで女子だけが集まってるってことが、なにか気に食わなかった記憶がある。
5月5日は絶対に女子は呼ばない、と思っても、子供の日だからということで、みんなで仲良く柏餅をたべることになる。
今思うと、女子たちのなか男ひとり入らなくて良かったなぁ。当時はまだ女の恐ろしさというものを知らなかったんだよなあ。
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今日は晴れ。
先週、気分屋のぼくとしては、すこし辛かったが・・・
今日はほっと一息ついた感じ。
ただ明日から、また冷たい雨、それとも雪・・・、(;´д`)トホホ。
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クリント・イーストウッド監督映画、チェンジリングを観た。
またしてもイーストウッドにやられた!って感じ。ミリオンダラーベイビー、硫黄島二部作に続いて。
思わぬ方向へのストーリー展開、そして最後にはキチンと感動させる。
それと主役アンジェリーナ・ジョリーはさすがにハリウッドの大女優。顔の表情と話方がストーリーの展開とともにどんどん変わってくる。残念ながらそこまで演じられる日本人女優はいるかな。
ところでチェンジリングの意味は、子供が入れ替わるということらしいが、主人公のクリスティン・コリンズが絶望から希望を取り戻していくといった変化のこともあるんじぁーないかな、とも思った。
それと、イーストウッドは作品の舞台となる切り取られた時代をまるでその時代の証言者のように忠実に描き、正義とそれを犯す者を許さないところは、どの作品でもそうだが、この作品でも重要なテーマになっていると思う。
たが、常に根底に流れているのはヒーマニズム。本当にこれでよかったのかといった迷い、後悔のようなもの。それらを抱きながら希望を見い出していく。
それを暗示するかのようなシンプルな美しいメロディのテーマ曲。作品のいたるところでバックに流れている。
それと作品の中ではほとんど目立たないクリスティンの会社の上司。この人の存在ってひょっとしてその後のクリスティンにとって大事な人になるんじぁーないかな。ストーリーとはまったく関係ないが・・・。
などなど、自分勝手に想像を膨らませ楽しんでいる。
しかし、エンドロールの途中で席を立つ人というのは・・・。
映画の最後で余韻を感じながら製作に係わった人たちへの称賛ってあってもいいと思う。たとえあなたの評価がどのようであったとしても。本当にに映画が好きなら。
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心配していることがある。かなしいことがある。
両親と女子中学生のフィリピン人家族三人が不法滞在により強制退去を法務省から勧告されている。猶予期限は今日となっている。
たしかに両親は不法滞在で法を犯したことに間違いない。しかし十何年間家族を守るためにこの日本で一生懸命働いてきた。ぼくたちと同じように、当たり前に税金も納めてきている。
そして少女はこの日本で生まれ日本人として育ち日本語しかしゃべれない。ごく普通の中学生である。
その後、少女だけは残留をみとめられたが・・・。
中学生の少女に、一人で日本に残るか、両親といっしょにフィリピンへ渡るか、という残酷な選択させ、少女に「不安です。怖いです。」と言わせる法があるだろうか。
少女の仲のいい友達に「行ってほしくない!」と涙を流させる法ってあるだろうか。
入国管理局の役人達は日本の法律を遵守しなければならないので杓子定規に事を運ぶのはしかたがないが、行政の最高機関である内閣の閣僚達はそれでいいのか。
役人が作った見解をそのまま発表するような法務大臣はもういらない。失点続きの我がソーリはこのことをどう思っているのか。
このような時にこそ、超法規的な処置をすべきではないか。
国連の人権関係の部署がさっそく調査に入るそうだ。外圧でもなんでもいい、なんとかこの家族をすくってあげられたらいい。
この国には政治家をはじめ日本国民に不利益な、国外退去してもらいたい人物はいっぱいいるじゃあないか。
「やさしさ」のない国に愛国心を持つことはできない。
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文藝春秋に10年くらい前の芥川賞作品、藤沢周の「ブエノスアイレス午前零時」のモデルとなったダンスホール付きの温泉旅館の記事が載っていた。
昨夜、前に読んだこの小説の場面場面が頭に浮び、挙げ句のはてにはピアソラのタンゴのメロディまでが頭のなかを駆け巡りだし、なかなか寝つけなかった。
鉛色の温泉卵、サングラスをかけた老女、吹雪、横浜本牧、タンゴ、真っ青な空の下のブエノスアイレス(行ったことないが)、そして午前零時ミッドナイトブルー。
今朝、出かけ前の慌ただしい時間に、急いで部屋の書棚からこの小説を抜き出し鞄の中へ。
そして混雑している通勤電車のなかで一気に読み返した。
ところで、電車のなかで読んではならない本がある。
①思わず生唾ゴックンの官能小説、②油断してると吹き出してしまう面白エッセイ、そして③涙か溢れ出す感動物語。
今朝は③。心配したとおりになってしまった。
コンタクトレンズを直すふりなんかしてごまかそうとしたが・・・。なんとか花粉症らしいと思ってもらえたかな。
ヨーヨー・マ/プレイズ・ピアソラ
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ぼくは男として、やや小ぶりな自分の手にコンプレックスを持っている。
肉厚の大きな手の人と握手をする際は、特に力を込めてしっかりと握る。
その気持ちは若い頃の方が強く、歳とともに少し薄れてきたようだが、指の長いしっかりした手をみるとやはりうらやましいと思う。
人間、一年を通して常に一番外気に触れているのが、顔を含めた頭部と手である。
よって自分が一番見ている素肌の部分といえば、手の甲、掌、手の指なのである。
だから一番気にかかるのだろう。
そんなコンプレックスを持った自分の手ではあるが、
実は誰よりも掌が暖かい・・・・と密かに思っている。
ずーっと前に、そんなことを言われたことがある。
どんな寒い冬でもぼくの掌は暖かい。
これが唯一自慢できること、かな?
しかし、もうすぐ春がやってくる。
そして、もう用無しに・・・・・トホホ (´Д⊂グスン
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やっぱり相性というものがあるのかもしれない。
先週から、ベストセラー作家・東野圭吾「流星の絆」、直木賞の天童荒太「悼む人」、芥川賞の津村記久子「ポストライムの舟」を立て続けに読んだが、どうも面白くない。
今日からまた吉田修一を2冊買って読み始めた。やっぱり彼の作品とは相性があっているのだろう。
音楽もいっしょで、相性のあっている同じアーティストの歌・曲をずっと聴き続けている。
映画もいっしょ。友人と同じ作品を観て評価が全く違っていた。
人との付き合いもいっしょ?
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月曜日の雨はどうも気分的にこたえる。
それも冷たい雨!
まったく井上陽水の「傘がない」か、まさに荒井由実の「冷たい雨」。
まぁ、いろいろなことがあったりするので、いっそう落ち込んでいく。
ただ、いろんなこと、まったくないよりあった方がいいか!
たまにはこんなブルーな気持ちも・・・。
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今朝、起きたらまるでヴィト・コルレオーネ。
と、言っても、別にぼくが映画ゴッド・ファーザー主演のマーロン・ブランドに変身してたわけではない。
声がマーロン・ブランドが演じたヴィト・コルレオーネのような、かすれた、ささやくような声になってしまっていた、ということ。
・・・そうです! たんにカラオケで歌いすぎ、のどがつぶれただけ。
夕方になるにつれて、やっと元の美声が戻ってきた・・・・・なんちゃって。
・・・つまらないお話しでした。(^-^;
先日、NHK衛星第二でゴッドファーザーⅠ、Ⅱ、Ⅲを放送していた。3作続けて観たのは初めてだったが、何度観てもやっぱり素晴らしい作品ですね。
ただ、上映時間が長いこと、長いこと。
もう腰が限界でした。
(昔、オールナイトで5本立てとか観に行っていたが・・・)
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映画「旅の重さ」を思い出し、どうも気になって・・・。
パソコン様(我が家で一番偉い!)も無事修理が終わり、我が家にご帰還あそばれたので、さっそくネットで調べた。
当世、随分と便利になったもので、YouTubeですぐに当時の映像を観ることができた。 http://www.youtube.com/watch?v=5ROOowtIKSA
懐かしい~。ぼくが観たのは、確か高校生くらいの時だったと思うが。
そういえば、斉藤耕一監督ものは他に「約束」「津軽じょんがら」とか、あと何本か観ているが、映像がぼくごのみだなぁ・・と当時思ったことを思い出した。(余談)
「旅は人生みたい。人生は旅みたい」「・・・そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じやないの、旅に出たのよ・・・」と、主人公の少女が旅に出る。そしてひとりの女性として成長していく。
沢木耕太郎も言っていた。「旅が人を成長させる、強くさせる」と。
しかしフーテンの寅さんはあんまり成長していなかったなぁ。
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沢木耕太郎の「旅の力、深夜特急ノート」を読んで、つらつら、とりとめのない話を・・・。
ひとりで家を出るのが旅、連れがあるのが旅行。
旅行には目的があり、その途中にあるのが旅・・・なぁんて、あまり意味のない定義だなぁ。
旅といえば昔、「旅の重さ」という映画を観た。高橋洋子主演で秋吉久美子が最終オーディションで落っこちてチョイ役で出てたやつ。吉田拓郎の「今日までそして明日から」がテーマ曲。監督は斎藤耕一?だったかな。
主人公の少女が旅回りの劇団一座についてまわり、生きる、生きて行くってことを見つけていく・・・といった内容?だったかな。
ああ、あやふやな記憶、なんといい加減!
フーテンの寅さんは白い雲に誘われて旅の途中
さてぼくは春の風に吹かれながら何処を彷徨(さまよ)ってみようか。
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今、なくなって一番困るもの。
お金?通勤定期?メガネ?歯ブラシ?箸?辞書?お気に入りのレコード?・・・
女子高生なら、命の次に大事なケイタイ!
今、パソコンが修理中のため我が家からなくなっている。
10年前は、携帯もパソコンもなくったって何の不自由もなく生活してたのに!
それだけ普段の生活に入り込んできてるんだね。
修理が終わって戻ってくるまでの辛抱。
ところで「愛」は、なくったって困らない???
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映画マンマ・ミーアを観た。
最近コムズカシイ映画はどうも疲れるので、いっそ単純に楽しめる映画として。
まぁ、もともと観て聴いて楽しいブロードウェイのミュージカルだし、歌もみんなよーく知っている、大好きなABBAだし。
ストーリーやテーマなど深く考えることもないので安心して楽しめる、といったところ。
出演者たちみんなが、歌を、踊りを、自ら楽しんでる? それが観る人たちにも伝わってくる?
そして、なんと、そう、主演の、あの、メリル・ストリープが DANCING QUEEN だったのです。
You can dance, you can jive
Having the time of your life
・・・・
Feel the beat from the tumbourine
・・・・なのです。
ただ、団塊世代のオバサン達(失礼!)、これ以上元気になっちゃうと・・・
すこし恐ろしい???・・・・かな。
http://www.mamma-mia-movie.jp/
↑元気なオバサンたち
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最近朝、受験生だろう、通勤電車に乗り慣れない中学生、高校生をよく見かける。これからが受験本番を迎えることとなる。
いくつになってもこの時期になるとなにか、不安、切なさ、それとかすかな希望、等々が入り交じった、胸がきゅんと痛いような、甘酸っぱいような感情とらわれる。
当時、「いちご白書」という映画観て、「ああいう大学生活をおくるのかなぁ」と漠然としたイメージとともに憧れも膨らんでいったように思う。
そしてよく聞いた曲が、この映画のテーマソングとなっていた サークルゲーム、 そして同じジョニ・ミッチェルの 青春の光と影(Both Sides Now)
漠然とした不安、寂しさと希望、それと「何か始めなけばならないが、それが何か分からない」といった焦り・・・。
これらの曲のメロディー、歌詞に自分の想いを重ね合わせた日々を思い出す。
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いきなり小沢昭一的こころ風なタイトルになってしまったが・・・・。
カノ国の新大統領の就任式ではカノ国だけでなくコノ国でも大変な盛り上がりをみせている。正直言って「カノ国がうらやましい」と漢字が読める読めないでしか話題のないリーダーを戴いているコノ国の国民はみんな思っている。
200万人が集まり、歓喜の渦、中には涙を流す人もいる。
この国民の違いはなんだろうか?
カノ国では、独立戦争、南北戦争から公民権運動、ベトナム反戦など、国民がそれぞれ血を流してさまざまな権利を勝ち取ってきた。
それに引きかえコノ国の国民はすべての権利はお上から与えられてきた。
近代化に向け大きなターニングポイントになった明治維新においても、西洋の国にならって一等国になるという国の方針のもと、国民は納税の義務を負わされるとともに選挙権などの権利をお上から与えられた。
カノ国のマーティン・ルーサー・キング牧師たちが行った公民権運動のように血を流して権利を勝ち取るという歴史がコノ国にはなのである。
コノ国の60年70年安保、ベトナム反戦、全共闘運動などについても、高度成長期にどんどん豊かになっていった国民から共感を得ることなどできただろか。
まあようするに、権利を勝ち取ってきた、リーダーを直接選んできた国民と、なんでもお上から与えられ、誰が首相になっても一緒なんですよ・・・なんて考えてきた国民との違い・・・だと思うのです。
オバマ新大統領の感動的な就任演説を聴きながら、あぁ~うらやましい~。
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ここのところ、冬晴れが続いているが、やはり風は冷たく寒い。
こんなとき、公園や空き地でふっと陽だまり(日溜り)を見つけると、なんとなくうれしくなってしまう。ずっとこのままでベンチで座っていたい。
そんな気分に浸りながら、以前からちょっと気になっている、というか心に引っかかっていることがある。(こんな表現をするほどのことでもないが・・・・・)
「道」という映画がある。フェリーニの有名な作品で、もっとも映画の内容よりもニーノ・ロータの哀愁を帯びたテーマ曲「ジェルソミーナ」の方が有名かもしれない。
映画の最後の方でその主人公の薄幸の女、ジェルソミーナが大道芸人ザンパーノ(だったかな?)に捨てられる場面。
うろ覚えなので詳細は違っているかもしれないが、雪の残っている道端の、塀の前か、木の下だったか、陽だまりのなかにジェルソミーナが置き去りにされる。
冷たそうな風が吹くなか、陽だまりの中に横たわる病身のジェルソミーナは、どんな目をしていたかなあ?
捨てられたことによりすべてを諦めた目、それとも残忍なザンパーノから離れられた安堵の目、それとも陽だまりのなかにいる心地よさの目・・・・。
それともこの場面ではジェルソミーナの顔のアップなどなかった?
これらはぼくの後からの想像?
こんなことが気になっている。
そんなの映画そのものを図書館かレンタルで借りて観れば話しは早いじゃあないか。
・・・が、もう少しこのままで、気になったままでいよう。
そして冬の陽だまりを見るたびに思い出す、そのやさしい眼差しを。
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今日、横浜美術館にセザンヌ本人、それとセザンヌから大きな影響を受けた画家達の展示会にいってきた。
ぼくのような素人にも分かりやすい展示コンセプトで、説明も丁寧、とても親切な企画となっていた。
印象主義と呼ばれる作品の「光、影、色彩、質感・・・」を素人なりの見方ではあるが個人的に十分楽しめた。(ド素人のずうずうしさで勝手に作品を解釈なんかしちゃったりしているが、専門家に言わせると全く見方が違うのだろう。)
絵画の展覧会を見てもいつも思うのだけれど、実物は印刷・映像なんかとは全然ちがうなぁ、迫力が、質感が、色彩の鮮やかさが、まあ当たり前か。
一枚くらい自宅のリビングに飾り毎日みていたいな、と思った次第。
それと鑑賞中に、恋人同士なのかなにか知らないがうんちくを他人の耳元で語ることはやめてもらいたい。
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サポーターといってもサッカーなどのスポーツの応援ではない。
昨年からパレスチナ自治区ガザでは、イスラエル軍の攻撃により多くの一般市民が被害蒙っている。その中に少なからずの子供達が巻き添えとなっている。
「果てしない苦痛の始まり」と現地メディアでコメントされるほど混迷を極めており被害地域の医療、食料支援も滞っている。
また、このガザ地区だけでなく、今、世界の多くの国で紛争がおきており、多くの女性・子供たちが悲惨なめにあっている。
弾丸・ミサイルが飛んでこない対岸にいるどこかの国の政治家、文化人たちは、ウソの涙をながすだろうし、ウソっぽい憤りを表すのだろう。それはぼくたちも同類。
だが、今まさに悲惨な現場で現実に支援活動している人たちがいる。このガザ地区にもいち早く入り活動開始している人たちがいる。
だんぱぱさんのレスにあったように対岸にいるぼくらはなにもできないのだろうか?
いや、ぼくらのできることは・・・・・、
世界中で今何が起こっているか知ること、そしてその現場で危険をかえりみず、どのような支援が、どのような人たちの手で行われているか知ること。
そしてその支援活動している人たちのサポーターとなること。
さらに、たとえこれを偽善といわれたとしても、そのサポーターを続けることだと思う。
**ユニセフ http://www.unicef.or.jp
**国境なき医師団(MSF) http://www.msf.or.jp
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何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし(啄木)
と、いうが・・・・。
まあ、自分としては、何となく、相も変わらず、で、また一年を過ごしていくのだろ。
如何せん、良いも悪いも、生まれてからずっと付きあってきたこの性格なので・・・・(性懲りもなく)。
ただ、周りのいろんなものから受ける感受性だけはもっと豊かになりたいと、ちょっとだけ思っている。
それと、時分の遊びに身をまかせるという道(五木寛之さんか言っている)も楽しんでみたい。
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テレビの報道特集「いのち5つの物語」をみた。
普段、ぼくが発している言葉の、如何に無意味で、空虚で、軽薄か、思い知らされた。
自分の命をかけた言葉の重さ、尊さ、そしてその言葉を受け止める方としての覚悟たるや如何許か?
病気をおして仲間と甲子園を目指した野球部の女子マネージャー。願いは叶わなかったが、最後にチームメイトに送った言葉、「ありがとう」の5文字。
どんな饒舌に語られた言葉の列よりも重く、悲しい。
「いのちの授業」を最後の最後まで続けた山田泉さんの最後の言葉。「暗いから小さな星が見える」
ぼくの知らないところには、もっと多くの「いのちの言葉」がある。
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朝、目覚めのとき、あと10分、あと5分・・・・あま~い誘惑に負けて大変な目に何度かあった、今よりもっと若い頃。
この歳になると、一度目が覚めると、もうなんの誘惑もなく、すんなりと目が覚めてしまう。
そういえば最近は、あま~い誘惑なんて、とんとご無沙汰。
あまりにも現実を知りすぎ、先を見通しすぎているので、誘惑の方が寄ってこないのだろう。
まだぼくがもっと生意気だった頃、甘い蜜のような誘惑にドキドキし、人生の挫折らしきことを経験した。・・・ような気がしていたのかもしれないが。
そんなぼくの人生の教科書(?)だった平凡パンチは今はなく、月刊プレイボーイも今年廃刊となった。
あの頃にちょっとだけ戻りたい・・・かな?
*週刊プレイボーイはまだ発行されている
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ぼくは別にクリスチャンではないが、今宵静かに祈ろう。
War is over !
If you want it
War is over !
Now !
(John Lennon & Yoko Ono)
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人は生きているだけである意味苦行難行をしているようなもの。人をキズつけ、人からキズつけられ、そして行き詰まる。漱石ではないが「兎角、この世は住みにくい」
人が生きていくということは、身をすり減らしながら歳を重ねていくことだね。
な~んて、ただでさえ暗いニュースがあふれているこの年末にそんなこと考えなくてもいいのだが、ちょっと思うことがあって。
人間どんなに悩んでも、泣いても、わめいても・・・、夜が来て、そしてまた朝が来ていや~な一日が始まるんだな、これが。
そこで、どうせこのツライ現実が変えられないのであれば、いっそのことさっさと肯定してしまおう、逃げずに。良いも悪いも、自らの心の中でケリを付けてしまうのだ。
バカボンのパパ的な積極的現実肯定「コレデイイノダ」、ノーマルな現実肯定「まあこれでいいんだね」、消極的ややあきらめ的現実肯定「まあ、こんなもんだね。トホホ」・・・方法はいろいろあるが。
要するにどんなに考え込んだってしょうがないのであって、さっさと飯食って、酒のんで、好きな音楽聴いて、楽しかったことを思い出しながら、寝てしまうって考え。
人の悩みなんて、本当はこんな簡単なことではないかもしれないが、ひょっとしたら意外と簡単なことかもしれない。
以前聞いた話だが、あるオリンピックのメダリストが、その後自らのアイデンティティーを見失い失意のうちに死を決意、駅のホームの端に6時間立っていたとのこと。そのうちふっと「お腹が空いたなぁ」と感じ、そしてお腹いっぱいご飯を食べ、それからは持ち前のバイタリティーでその後の自分の人生を変えてしまったとのこと。
結局、現実から逃避したらダメ。逆にツライ現実を、勇気をもって直視し、肯定する。そして、これが大事なのだが、ついでに自分も肯定し、ここまで生きてきた自分を「よくやってるよ」ホメテやる。そうすればちょっとでも、いい方向にいけるかもしれない。
(少し安易すぎるかもしれないが、ツライときはコレデイイノダ)
まあ、ぼくのようなノー天気な人間でも時々はこんなことも考えているのです。
付録:フーテンの寅さんが甥の満男からこう聞かれた「伯父さん、人間はなんで生きているの」。寅さんはこう答えた「・・・・・まあ要するに、生きているうちに2回や3回、ああ生きてて良かった・・・って思うことがあるだろう。そのために生きているんじゃあないか」
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古本屋が立ち並ぶ町、神田神保町。ここに来ると、どこか懐かしく、ほっとする。
また、裏路地に入り込むと、タンゴに身を揺らせているお店、ジャズにじっと耳を傾けているお店、買ったばかりの本を真剣に読み始めているお店・・・・・。
ここではみんなが自由なスタイルで、気ままに過ごすことができる。
また疲れたころ、来てみようか。
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今日素敵な文章に出会ったので。
「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ」(村上春樹「意味がなければスイングしない」から)
この文章に出会って、今日一日なにかとてもうれしく、とても幸せな気分。
一杯やって帰り道、頭の上はまん丸のお月さん(ひょっとしたら14番目?)、モーツアルトのピアノソナタを聴きながら、口ずさみながら、ちょっと怪しいオジサンは家路へと向かったのでした。
あまりにも気分が良かったのでお風呂に入りながらついでにお風呂掃除もしてしまった。
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師走の風物詩と言えば・・・・・。
師走といえば、特に日曜夕方のテレビニュースなんかで、どこどこのクリスマス用イルミネーションの話題とか、どこどこのお正月の準備とか、餅つきとか、の話題が出てきて、みんな、あ~師走なんだな、一年が終わるのが早いよなぁ~・・・と感じるのです。
ところでぼくにとって師走の風物詩といえるのは、ここ数年やっている高校のクラス会。
今年も昨日、担任の先生のほかクラスメート8名ほどが集まり、この一年の話題に花を咲かせた。こうやってみんなで元気に顔をあわせられた幸せをつくづく感じる一日だった。そして、別れ際、また来年ね・・・・。
そしてもう一つ。ラグビーファンにとっては待ちに待った12月第1日曜の早明戦。
今日がその日でテレビ観戦をした。
いろいろな意味で、ここ数年の早明戦ではベストゲームで感動的なゲームだった。来年は往年の、あの国立競技場を満員した、大学ラグビー最強の戦いを見せて欲しい。(今年のラグビーシーズンはまだまだ続くが・・・・)
などなど・・・、こうやって師走の風物詩(行事)がどんどん過去のものになっていき、そして新しい年を迎えるのですね。
そしてみんなひとつ歳を重ねるのですね。ちょっぴりさびしい気持ちもしますが・・・・。
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そうです、解散ではないです。
活動の無期限休止なのです。・・・ということが分かりました。(もういいかげんだなぁ~)
それとグループ名は「サザン・オールスターズ」ではなく「サザンオールスターズ」ですね。いわゆる間の「ナカグロ」が余計でした。
ところで今年というか最近、昔のグループの再結成が目立つ。
今年は、あみん、スピード・・・・・一時的なのかどうかわからないが。
またここ数年ではフォーリーブス、ブルーコメッツを始めとしたG.S.までも。・・・オジサン、オバサン大喜び。
復活すれば往年のファンは喜ぶのなのだから、もう解散とか引退とかにしないで、サザンのように「活動の休止」にすればいいのに。
そうすればファンは復活の日を楽しみにいつまでも待っていると思う。
ずっと歳をとっても。
ところで早く解散しなければならないのは・・・・・・衆議院
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ぼくはサザン・オールスターズが好きではなかった。
ぼくは桑田佳祐とはほぼ同年代で、テレビの歌番組でのデビューもリアルタイムでみている。おそらくそのときの印象が良くなかったのかもしれない。大騒ぎするさまがなぜかぼくの癇に障ったのかもしれない。
それ以来、自分から聞くことはなく、たまたまラジオなどで耳にする程度。ファンの方にな申し訳ないが、ベタな言い回しの歌詞がどこか薄っぺらで、嘘っぽく感じられ、「いとしのエリー」をレイ・チャールズがカヴァーしたときなんかは、本当に驚いたというか、レイはそこまでするか、と残念に思った。(これは今思うと完全な偏見だね)
しかしこの間ラジオから「真夏の果実」が流れていて、思わず聞き入ってしまった。そしてこのなんとも切ない恋の歌に涙を流してしまった。
今年サザンは解散するとのことで、多くのファンがなかには親子2代にわたる熱狂てきファンもいて、自分の人生とともに歩んできたと涙ながらにコメントしていたが、今になってその気持ちが分かるような気がする。それだけ素晴らしいグループだったのだろう。
これから過去の偏見を捨て、遺跡発掘ではないが、このグループの歌を掘り返してみようか。
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ここ数日一段と寒さを増してきた。
早朝はもうコートなしではいられないくらい。若い頃に比べ一層寒さが身にしみてくる。
ただ、夜は寒くなればなるほど満点の星の輝きが増してくる。しばし寒さをこらえて夜空を見上げてみよう。
そうすると音楽好きのぼくとしては星にまつわるいろんな曲が浮かんでくる。
「スターダスト」、これはもういろいろなアーティストが歌ったり演奏しているが、やっぱりナット・キング・コールが一番。
「星影のステラ(Stella By Starlight)」、これもJazzのスタンダードになっているが、マイルス・デイビスが最も感動的。
ああ~、それと星とは関係ないが、FM東京のジェットストリームのテーマソング「ミスターロンリー」。
ぼくが小学校高学年か中学生のころFM放送が始まり、ラジオ少年だったぼくはさっそくこの番組のとりこになった。夜中12時をまわるとこのテーマソングをバックにあの城達也の伝説のナレーションがながれる。(この番組の後1時からはオールナイトニッポン、セイヤング、パックインミュージックだったなぁ、これとは関係ないけど)
布団の中で流れてくる曲やおしゃべりにじっと耳をすませて、満点の星空の彼方、まだ見ぬ異国の地を想う。
まぁ、今思えばなんとロマンティックな少年だったのだろう・・・・(歳とともにこんなんになちゃうんだね、トホホ・・・)
12月1日夕方6時頃、南西の空に、宵の明星(金星)と木星、それに細い月が大接近、3点セットで見れるとのこと。
ちょっとの間でも純粋だった(?)少年時代に戻り、冬の夜空でも楽しんでみましょうか。
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先日まとまった休みが取れたので読書の秋ではないが、図書館である作家の小説を数冊まとめて借りてきた。ぼくごときがプロの作家に対しこのようなことを言うのは大変おこがましいが、全て「ハズレ」だった。ようするに面白くなかった。
ところで、一日朝起きて寝るまで、「あっ、これは当たり」「あ~あ、ハズレ」なんてことがよくある。
朝通勤の電車、座った席の隣に細身の女性であれば「当たり」、ちょっとメタボ気を付けた方がいいんじゃないといった太ったおっさんだったら「ハズレ」とか。
昼食時、行列のできるラーメン屋に並ばずさっと席につければ「当たり」、どこも一杯で、うろうろ、やっと入った店で愛想のない店員に「こりゃ、ハズレ」、しかし出た料理はうまい、しかもサービス期間中で100円引き「おっと、これは大当たり!」
人生、当たりもあればハズレもある。そんなんで一喜一憂しながらそれを楽しむ余裕を持ちたいね。
天気予報では今晩から寒くなるって言っていたのに、コート着ないで出勤。あんのじょう帰宅時、ぶるぶる震えながら後悔しっぱなし。「ハズレ」
しかし夜空は満点の星空。これは「大当たり」かも・・・・。
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筑紫哲也さんが亡くなった。
ぼくの学生時代・20代からの憧れの人で、ぼくが社会を見る際の座標軸としていた人だった。いわゆるオピニオンリーダー的存在だった。(ぼくの学生時代、「朝日ジャーナル」とその対極にある「諸君」、それと「プレイボーイ」「平凡パンチ」を持って闊歩するのがカッコよかった時代だった)
特にNews23のキャスターを始めてから、この人の一言一句に耳を傾け、さらに一層この人の言動に影響され続けた。(文化:映画、音楽についても)
あのことについて、このことについてあの人のジャーナリストとしての見方は?、またテレビキャスターとしてどのようなコメントを発するのか、いつも注目していた。
今までだれも経験したことのないこの混迷した社会を鋭く分析し的確な解説ができる、この人に代わる、ジャーナリスト・キャスターが今後出てくるだろうか。
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久々にアキコ・グレースを聞いた。
Graceful Vision
ひたすら美しく、美しく
聞く人を無防備させ、なにものも拒絶させない。
一音一音が全身に滲み入ってくるような。
ジャズというジャンルを超えてひたすらに美を追求したもの。クラシックでもなく、ポピュラーでもなく・・・・。
それと10曲目、これほど美しい「トロイメライ」を聞いたのは初めて。
さらにその次ぎ11曲目、Graceful Intermission、4分18秒、なんとサイレント、なにも音がない世界、静寂。(まさにサウンド オブ サイレンス)
な、なんなんだ、これは???(この4分18秒の静寂の意味は聞く人にゆだねられている)
しかしこの静寂の後、最後の曲となるDelancey Street Blues '08。2002年メジャーデビューアルバム『フロム・ニューヨーク』からさらに進化したAkiko Graceがそこに居る。
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先日、卒業以来何十年ぶりかで母校の大学祭に出かけてみた。
なんと人の、それも若い人達の多いこと。まるで初詣状態。校内どこへ行っても身動きがとれない。
定番の焼きそば、お好み焼きなどの食べ物の屋台が通路の両側を占め、昔と変らずあいかわらずの風景。
ただ、ぼくが在学中はもう少し政治的なスローガンが目立っていたような、もう少し堅い催し物もあったような気がするが・・・・。
まあ今はそんなのは流行らない。
特設ステージでは、学生か芸能人かわからないがタレント風の若者がパフォーマンスを見せている。それにしても何が面白いのか、よく分からない。・・・・が若者達は喜んで見ている。
ぼくたちオジサン&オバサンOB連中は早々に退散、居酒屋で酔っ払って何十回も繰り返された昔話をもう一度。
相も変らず進歩がないねぇ。なにが面白いのかねぇ。
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読書家で有名な児玉清さんが薦めていた「阪急電車(有川浩著)」だが、今年の春先に図書館に予約、ようやく順番が回ってきた。昨日、今日で一気に読み終えた。
短編をつなぎ合わせたような構成であり、文体もすんなりと入っていく、いわゆる今風の読み易い小説。だがしっかりと登場人物を描いており、ともすると安易なテレビドラマ風になりがちなストーリーだがちゃんとした読み応えのある小説になっている。
テーマは、大事な人との出会い、やさしさ、・・・かな。
阪急電車の今津線(宝塚~西宮北口)という8駅しかない短い路線の電車の中、人と人との出会いをありふれたエピソードをつないでいくストーリー。偶然出会う登場人物たち、それぞれは色々な人生を背負っている。人としてのやさしさ、その人を大事に思う気持ちが、それぞれの心を結び付けていく。
人恋しくなる秋の夜、この本を読み終え、しみじみとした感動を味わい、そして少し幸せな気分に浸ることができた。(特に直前、何十年ぶりに吉行淳之介なんか読んでいたのでよけいに・・・・)
しかしぼくの歳で電車のなかでこの本を読むのはちょっと恥ずかしいが、まぁたまにこのような小説もいいものです。映画でいうと「ALL WAYS 三丁目の夕日」のような感じ。
ところで登場人物の主たる人達が女性で、小学生の女の子から年配の女性の心理をきちんと描いていたが、あとがきを読むとこの作家、有川浩(ひろし)ではなく有川浩(ひろ)という女性作家だということが分かった。
今、混迷した世の中、ぎすぎすした人間関係、疲れきった心、要領がいい者・力の強い者が大手を振って肩で風切って闊歩している時代に心休まる・温まるお薦めの一冊です。
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先日、出張の折、新幹線の車窓から景色を眺めていたときにふっと考えついたこと。
最近のバッティング(趣味のオジサン・ソフトボール)の不調は動体視力の衰えではないか。体力、気力は年々歳とともに衰えてくるのはしょうがないが、訓練しだいで・・・ということもある。
そういえば、「どかべん」の山田太郎は、急行電車に乗り通過する駅の看板を読む訓練をしていた。これだな・・・!!!、時速200km超で駅を通過する700系のぞみ、これに不足はない。
小田原、熱海、三島、新富士・・・・、うう・・まったく駅名なんか読めない。そしてそのうちに「あっいかん!目が回り始めた、気持ちが悪くなった」ということで画期的なこの訓練は中止となった。
ところで、最近の全世界をめぐっている外為の変動や株の乱高下、それも一日で数百円~千円の幅で、瞬間最大風速は超大型台風以上。さらに肝心のこの国の政府も選挙々々で、ふらふらあっち行ったり、こっち来たり。
この世の中、イチロウなみの動体視力がないと勝ち抜いて成功するにはおぼつかない。またそれだけでなく超スーパー予測能力も持ち合わせていないと。
そんな中、我々普通の生活者もそこまでいかなくても激しい周りの動きをしっかりと見据えていかなければ判断を間違えかねない。特に「良い話」にはご用心。
・・・がしかし、そんな事いっても、しょせん人間の歩く速度は太古の昔から変らず、いくら100m世界最高のボルトでもエイトマン(ちょっと古いが)でもあるまいし、目にも留まらぬ速さで走っているわけではない。
人間は歩く速度で考え判断するのが一番自然で確かなのではないか。
今世界中で起こっていることは異常なのである。よって動体視力・予知能力を高める訓練なんかより、異常を普通に戻すことが一番肝心なことでないかな。
ところでぼくのバッティングは要するに練習不足なだけ。たまには素振りくらいやれよ、ゴルフもいっしょやでぇ・・・とは天の声・・・かな?
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世界中の「オタク」の聖地、アキハバラで見かけたこと
ある朝のこと、いかにもアングロサクソン、いわゆる自分たちを中心に世界が回っていると勘違いしているアメリカ人、といった人達、それもあの大きな身体をした10人くらいの男女の団体が大声で話しながら歩道いっぱいに広がって歩いていた。(通勤途中のオジサン達にとってジャマなんだよな)
その団体の一人がなにか珍しいものでも発見したかのように先の方を指差し、仲間に知らせている。もうみんな大騒ぎとなった。
なんだろうと見てみると、ビル工事現場で作業員が朝礼のあとの恒例の「ラジオ体操」をしている姿。日本人にとってはありふれた風景だ。
団体の何人かはさっそくカメラを向ける、まるでフジヤマ、ゲイシャを初めて見たような騒ぎ。
別に彼ら彼女らにとっては珍しい光景で別に他意はないのだろうが、なにかカチンとくるものがあった。
アメリカの誇る自動車産業の凋落、いまだに世界のトップを走り続けるmade in Japanの超高品質。この差の原点がここ(就業前のラジオ体操)にあること(?)を彼ら彼女らはわからないだろうか、わからないだろうなぁ~。
・・・なんて言ってやりたいが、なにせ英語がしゃべれないし、体格でも負けている。(なさけないね)
今年はラジオ体操80周年。そういえば夏休み、朝、出席カードぶら下げて、広場でやったなぁ。日本人ならみんな知っているラジオ体操の歌、第一・第二体操の曲。もう日本人の意識の中に染み込んでいて、あの曲が流れると体が自然と動くのです。ラジオ体操ができない日本人なんかいないのです。(別にいばることでもないが・・・・)
まぁ、この伝統、ずっと続けてほしいなと、自分はいまではやらないくせに思っております。(テレビ体操に出演の健康的な女性達。密かにファンが増えています・・・と谷村新司が言っていた)
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プロ野球などのスポーツ選手、特にトップアスリートといわれる人達がよくこの言葉を使う。故障まではいかないが、悪い状況へつながりかねない予兆という意味合いなのであろう。まぁぼくなんかはこの歳になると身体中あっちこっち違和感だらけなのだが。
身体のことではないが、普段生活してて、ちょっと自分の感じていることと違うなぁとか、あれってちょっと違ってるんちゃう。・・・なんて事よくある。
ちょっと前のことだが、衣替えの日の朝、駅の改札口出たところで小学生、それも低学年、の生徒達が「赤い羽根共同募金おねがいしま~す」の黄色い大合唱。
毎年見かける風景なのだが、なにか違うんじゃーないかなと感じる。当の小学生は一生懸命に言われたとおりにやっているのだが。
それと国会中継なんかで首相をはじめ閣僚の面々、他政治家の人達の胸には赤い羽根が・・・・・。なにかいやらしいなぁって感じるのはぼくだけ?
・・・かといって、この活動自体について間違っているとかなんとか意見するほどの見識はもっていない。おそらく教育的にみてもすばらしい活動なのだろう。
ぼくはただこの違和感ってやつを感じることは大事なんじゃぁないかなって思っただけ。
正しい・間違っている、ということは後でよく検証していけばいいのであって、直感的に「なにか違うな」と感じることは大切だと思う。
だんだん慣れてくると本当におかしなことを見ても聞いてもなにも感じなくなってくるから。
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ポール・ニューマンが死んだ。
なんといっても「明日に向かって撃て」のブッチ役。ぼくはこの役に一番思い入れがある。とにかくこの人の笑顔。今風に言うと決してイケメンではないが、本当に魅力的な笑顔の役者だと思う。
これほどの笑顔が似合う役者は他にいないと思う。
また「明日に向かって撃て」を観よう。高校の時からもう何回も観たが・・・・。
BJトーマスの歌う「雨に濡れても」のBGMのなか、キャサリン・ロスを自転車の前に乗せ家・納屋の周りを回るシーン。当初監督のジョージ・ロイ・ヒルがカットしようとしたらしいが、ぼくの一番のお気に入り。他の全てのシーンもぼくの頭の中に入っている。
とにかく印象深い役者だった。
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よく会社の同僚、後輩、さらには上司まで、飲みに行ってよく愚痴を聞かされる。
みんなの言っていることもよく理解できる。ただぼくは話しをよく聞いてあげる、一緒になやんであげる、そしてはげましてあげる、ぐらいしかできない。ぼくはそんなに偉い人間ではない。・・・なのによく愚痴をこぼされる。
そんなにぼくはには話しやすいのか・・・。なんて思わずぼやきたくなる。なるべくなら人の愚痴なんか聞きたくない。
それじゃぁ、ぼくの愚痴はだれが聞いてくれるの。そりゃ、たまにはぼくだってたらたら話したいことありますよ。
今日も、電車のつり革につかまりながら、両耳にイヤホーンをセット、お気に入りの曲を聴く、車窓に流れていく家の明かりをながめながら。そしてぼくにやさしくささやきかけるのです、いろいろなことを。
・・・・なんて、しょうもないグチでした。
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先日、ラジオで中高年の物忘れについていろいろコメントを流していた。若い女性タレントが「私もよく忘れ物するんです」なんて言っていたが、お前はただ頭悪いだけだろう、俺の歳になると切実なんだ!と、つい突っ込んでしまう。大人げないね。
以前こんなことがあった。取引先に電話した際、呼び出し音が鳴っている間に呼び出してもらう担当者の名前が突然頭の中から消えた。どうにも思い出さない。早々に電話を切った。
街で見たことのある人と出会っても名前がとっさに出てこない、用事があり別の部屋に行ったとたん何しに来たのかもう忘れている、なんてーのは日常よくある話。
同年代と飲んでいるときなんかは、あの人、この人、あそこにいた人、あの一年後輩の・・・固有名詞が出てこない。それと同じ話しの繰り返し。「今だから話せる秘密だよ」なんてのは、このあいだ聞いばかり、もう10回位聞いたよ。まさに老人クラブだな。
ラジオのコメンテーターの話では僕くらいの年齢になればこんな状況はありふれた話で問題ないとのこと。・・・あたりまえだよ。こんなん気にしてられないよ。
大切なこと、忘れていけないことはメモしとけばいい。小型手帳でも携帯しとけばいい。今は携帯電話にメモ機能もある。
最近、たまにカラオケに行くことがある。まあ自分の歌える歌なんて数知れているが、いざその場になると曲名を忘れてしまい調べるのに手間取ってしまう。まして薄暗いなか老眼の進んだ目ではなかなか見つからない。どうこうしているうちに面倒くさくなって、ちゃんと歌えない歌を選んでしまいみんなのヒンシュクを買ってしまう。
あ~、今度こそあの歌をこの歌を、びしっと歌おうと思うのだが・・・・・。
よし今度は手帳に曲名をメモしておこう。
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中秋の名月をながめながら風流な気持ちに浸りたいところだが、ここ数日非常に腹立たしいことがある。
最近、事故米のこと、全国を襲っている水害のこと、年金問題の続報、リーマンBの破綻による株式・金融の大混乱のこと、などなど、我々生活者に直接影響の大きい事柄が立て続けに起こっている。・・・にもかかわらず、この国のトップはいともあっさりと政権を放り投げてしまう。改造内閣の閣僚はまったくあてにならない。(そのなか野田聖子消費者行政担当相だけは評価しているのです。ガンバレ!)
その中でのJ党の総裁選。まぁもとより僕はJ党員でないので選挙権はないのであるが、今はとりあえずJ党総裁がそのまま国の最高権力者になってしまうのである。あの腹立たしい5人の候補のひとりが。
まず、各候補の所信表明。政策になんの具体性もなく薄っぺら。ライバルとなる他4名との違いもまったく分からない。挙句には、みんなで関係ないM党代表を名指しで非難。これには総裁選投票権のない僕も唖然。あんたら、やる気あるのか、と言いたい。
彼の国の大統領候補選出戦を見よ!。血みどろの壮絶な戦い。莫大なお金と品のないネガティブキャンペーンなど行きすぎのところもあるが、あれが国の最高権力者に登りつめる者の執念だと思う。
だから一旦その席に座ったら誰が何を言おうが自分の信念で政治を実行していけるのだ。どこかの国みたいに、「やりたくなかったが周りからお願いされたからソーリになりました」みたいなことはない。まして続けて2人も1年で放り出すなんてことは・・・。
今、一番腹立たしいのは、演説の最後に5人の候補が仲良く、お手手つないで、愛嬌を振りまいている姿の映像を見るとき・・・・・。
<この国が、世界が、大変な事態に陥っているとき、何を考えているんじゃ、お前らは!>という心境です。
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昔、アメリカで公民権運動、反戦運動まっさかりの時、ボブ・ディランがThe time there are A-Chengin' ・・・と、淡々と歌っていた。上の世代に向けて時代はもう変わっているんだよ、と。
中島みゆきは、悲しみ、苦しみは時の流れが優しく癒してくれると、気持ちを込めて歌いあげていた。
自分が今まで生きてきた年月、アッと云う間のような気もするが、もう一度同じ年月を歩むのはしんどいな、という気持ちもある。
その間、どのくらい時代(社会)は変わってきたのだろうが、自分自身はあまり変わっていない?・・・・ただぐるぐる、うろうろしてきただけ?
今日は久しぶりにすばらしい天気になった。秋空にしてはやや気温が高いが。こんなに気持ち良く晴れたのは何日ぶりだろう。
このまま、夕日が沈むのを見ながら、だいぶん秋らしくなってきた月を見ながら、夜が更けるまで、いままであった事など語り合いたい。友人のみんなと。
今日9月9日、ぼくは53回目の秋を迎えた。
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最近、携帯小説が書籍販売のベストテンに入っていたりする。手にとってページをめくると、ヨコ書きである。携帯のメールに合わせてヨコ書きになっているらしいが、内容はともかく、どうも読みにくい。
先日、また書店でなんとヨコ書きの、それも文豪の書いた小説(夏目漱石だったか、太宰治だったか、忘れた)を見つけた。ちょっと前にはドストエフスキーの罪と罰や、人間失格や、こころなどの漫画判を見かけたが、これは少しでも活字離れ傾向にある若者に本を読んでもらおう、買ってもらおうということなのか。
また最近はヨコ書きの新聞もあり、また朝日の夕刊の中面はタテヨコ混在となっている。週刊誌、月刊誌はタテ書きがほとんどだが、経済誌の日経ビジネスはヨコ書きである。
どうもヨコ書きの本は読みにくい。できれはメールもブログもタテにして欲しいくらいだ。
どうやらぼくの首は横にふるよりも縦にふり易くなっているのだろう。「ノー」とは言えない性格なのかな・・・。(しかし、ここでの話しは目の動きであって首は関係ないね)
それと、よく昔から言うではないか、英語が苦手な事を「わたしはどうも横文字に弱くて・・・」なんて。今では意味不明だね。
文字を書くのも、やっぱりタテ書きの方がいい。ヨコだと「みみずが這っているようだ」といわれるが、タテだと「蔦がからまっているようだ」になって、なにか味わいのある字に思えてくる。
やっぱ、ぼくは「たて」派だな。
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よくドラマや映画で怖いお兄さん達が「おい、こら、白黒つけようやないか!」とか、岩下志麻風の女性が「ここいらで、白黒つけさせてもらいまひょ。なめたらあかんぜよ~」なんて場面を見ることがあるが・・・・・。
だいたいゲーム性のあるもの、スポーツや武道、トランプや将棋など・・・・、勝ち負けの決着をつけなければならないものも多くある。そうでなければ、そのゲームの面白さ、またゲームの存在意義にかかわってくる。
しかし自分の今まで歩んできた人生では、優柔不断、気の弱い自分であるので、自ら何にでも白黒つけることはなかったと思う。
よくアンケートで「はい、いいえ」でお答えください、なんてのがある。この政党を支持しますか、しませんか、・・・・・。
また最近、勝ち組・負け組とか落ちこぼれとか中流・下流とか、勝手な基準・カテゴリーを設定し、どこかのグループに無理やり自分をまた他人をはめ込んで安心したり不安になったりしている。
コンピュータは「0」と「1」だけでチョー複雑な計算をやってしまうが、人間は「0」と「1」の間にある無数の数に時には迷いながら、時には落ち込みながら、時には「しまった~!」と後悔しながらもチョーチョー複雑な人生を歩んでいる。
日本の伝統色に、鼠色というのがある。なんでも100種くらい(これはうろ覚えで間違っているかもしれないが)あるらしい。たとえば有名なのは「利休鼠」なんか。
世の中、白と黒の間には色々な鼠色がある、人の数だけある。人それぞれの人生に白黒なんてつけられっこない。どこかの首相も言っていたではないか「人生いろいろ」って。
事を急いてなんでもかんでも白黒つけるのはやめにしましょ。
*吉田修一の「悪人」を読んでて、ストーリーとはあまり関係ないが、フッと思い立った次第。
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最近よくエスカレーターの事故が起きているが、満員(満ステップ?)の時に突然止まったり、逆走したりしたらと思うと、おもわず手すりの手に力が入ってしまう。
ところで、急ぎでエスカレーターのステップを歩いて上がる(下る)人のために、どちら側(右か左か)を空けるか、ようするにどっちに立っているか、地域によって違うのは有名な話。
ネットで調べてみると立っている側が右は大阪、仙台、左は東京圏、名古屋、福岡、だそうな。
由来は諸説あるようだが、なにか大阪人は「関東人とは違うんやで」といった主張を感じる。東京、秋葉原駅でも右側に立っているのは、外国人と大阪人(会話から推測すると・・・???・・・ほんまかいな)。
一方、関東人は大阪梅田などで「郷に入らば郷に従え」でおとなしく大阪流で乗っている。
しかし新大阪の新幹線改札を入ってホームに上るエスカレーターでは・・・・、なんとみんな左側に立っているではないか。・・・と小さな発見をした次第。
まあ、どうでもいい話ですが・・・・・・・。
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先日、学生時代の仲間とゴルフをした。
この夏一番の暑さで、もうスコアなんかどうでもよく、なんとか無事に生きてホールアウトできただけでもう十分、っていう感じ。なんでお金払ってまでこんな苦しみを・・・・、でも気心の知れた仲間とラウンドするのは何よりも楽しい。
ところでゴルフについて僕が疑問に思うこと。
昔、ゴルフを始めたばかりの頃先輩から薦められ一生懸命に読んだ「ベンホーガンのゴルフレッスン書」。その当時からと今に至るまでゴルフクラブ・ゴルフボールの素材、デザインなどの格段の進歩から理論の変遷があるのは理解できるが、毎週のように書店に並ぶゴルフ雑誌の「打ち方指南」の多さといったらどうだろう。
そんなに沢山、あとからあとから、次々に出てくるほどゴルフ理論ってのはあるのでしようか?・・・なんてね。
まあ、打ちっぱなしの練習もここ一年ばかし行ってなく、まったく練習もしない、素振りさえもしないでラウンドしている万年初心者の僕がこんなことをいうのも大変おこがましいが。
しかし本当のところ、ゴルフゲームの面白さを体感するにはやっぱり最低限の技術がないとだめだな~と思っているのですよ。
これからは、もう少し練習してきますので、また誘ってね。
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目は口ほどに物を言い、なんて申しますが。(いきなり落語調になってしまったが)今高視聴率のNHK大河ドラマ「篤姫」を見てて思ったことを少し。
篤姫役の女優、さすがにプロの役者、目で怒り、驚き、哀しみ、喜び、優しさを表現してる。ふっと瞳が曇ったかなという間に涙がホロリ。それが見ている人の感情に訴えてくる。また共演の松坂慶子なんか本当に目で演技ができる役者だな~と感心した次第。(僕が唯一みているドラマだけどハマッテいるのだ)
話しは脱線するが、このたび清水の舞台を前方3回転1回半ひねりで飛び降りた覚悟で、ジャパネットではないが液晶テレビを購入した。さすがハイビジョン映像はすごいね。役者の顔の細部、さらに瞳の動き、変化まで見えるのだから。
役者はこれが商売だからプロとして当然としても、よく目をみれば「うそをついているかどうか」分かるとか、何を言いたいか分かるとか、言うが、本当なの・・・・・?
さしずめ僕なんかは、顔を隠さなければならないなぁ。目が挙動不審、すぐに嘘なんてバレバレ。なにせ底が浅い人間なもんで。
「おっさんの疑り深い目ぇが、好っきぃ~」というコマーシャルがあるが、藤原紀香さんだったら是非言われてみたい。(本題とはあまり関係ないか・・・)
映画の「フーテンの寅さん」の一場面。おいの満男に「女を口説くとき、男はぺらぺらとしゃべるものじゃーない。じぃーと見つめ合うだけでいいんだ」と恋の手管を伝授。その寅さん、お目当ての彼女の前でさかんにあの小さい目でさかんに語りかけるが、その彼女は「寅ちゃん、どうしたの、目にゴミでも入ったの」・・・・なんてのがあったなあ。
結局、目は口ほどに物は言わない。アイコンタクトというのはあるのかもしれなが、やっぱり言葉、手振り身振り、顔つき・・・などの様々なコミュニケーション手段の一つにすぎないのです。だから目付きだけでは嘘なんかバレないのです。???
だけど「君の瞳に恋してる」とかいう歌(ディスコで大ヒットしたけど)、それって分かるような気がする。
*今日はなにか無理やり結論付けてしまったかな・・・・・・・。ところで僕はもともと目が悪いので、じぃっと相手の目を見つめるくせがあるが、他意はない。
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最近本屋へ行くとベストセラーの棚に血液型の本が並んでいる。
昔、僕が若い頃にも流行っており、よく「何型?」なんて聞かれたものだが、ほとんど興味がなく自分の血液型を他人に知られるのもいやなので、C型とか、かながたとか、ガタガタとか、適当に答えて随分ヒンシュクをかっていたが、最近は特に隠すこともないのですぐに「・・・型」と答えるようにしている。(ずぶんと大人になったものだ)
その本屋で、ちょっと立ち読み。フム、フム・・・、なぁーんだ、全然違ってる。僕はこんな性格じゃーないぞ。やっぱり当てにならないな、なんてパラパラめくっていると、本屋の店員の視線を感じる。あのオヤジ買いもしないで・・みたいな目つき。あわてて棚に戻す。あれっ・・・、自分の血液型とは違う本を見ていたのだ。
店員の視線を感じながら、気を取り直して、今度は自分の血液型の本を読んでみる。うーん、多少当たっているかななんて思ったりするが、本当にそうなのかな、同じ血液型でも随分と違う、なかにはまったく正反対の知人もいるのだが。(うたぐり深い性格)
ところで、なんでA、B、AB、Oなのだろうか。CではなくOというところがなにか大きな問題、しこりを残すこととなる。
日本人で一番多いのがA型、次にO型、次にB型、AB型とつづくらしい。よく見てみると、A、B、ABはなにか親戚というか、ご近所というか、近い仲間って感じ。一方Oは何か孤高の人的な感じ。たとえば、1、2、3に、突然18が混ざっていたり、「いろは」に「へ」が混じっていたり、のようなもの。(別に意図的に仲間はずれにしようとする意思はありませんが)
最大派閥のAとO。常に両者が日本人の性格、アイデンティティーをリードしてきたが、実は日本のリーダーの座を主張し合っているライバルなのだ。
そこにA型派閥に仲間であるBが合流。几帳面に豪胆さが加わればまさに鬼に金棒。強力な派閥を形成することとなる。
そこでA&B派閥につくかO派閥につくか、形勢をじっくり観察していた最弱小の世渡り上手のABが「ぼくはAとBと親戚なのよね。」などと興隆いちじるしいA&B派閥にすり寄ることになる。(ところで昔、B&Bなんてのがいたが・・・あっ関係ないね)
しかし、生真面目のO型にも策士はいる。ひそかにA型との大連立といった荒業を仕掛ける。もうこうなると最大派閥のA&Oグループが形成されることになる。何でも強行採決。もうこうなるとB、ABは社民党的な(これは冗談です!)、いてもいなくても、大して影響ないか・・・的な存在に。
しかし血液型戦国時代は続く。危機感を覚えたAB型は命をかけた最後の大技に出ることになる。四つの血液型に加え、な、な、なんと星座をミックスしたのである。A型のかに座とか、B型のおうし座とか、・・・・そうなると48通りに分割され、派閥もすべて解消されたのである。その他、九紫火星などの「九星」とか、いろいろバリエーションが出てくることになる。
やっとこの日本も血液型民主主義が訪れることになるのである。
・・・・・なんてアホなことを考えているうちに最寄のK駅に着いたのでこれで終わり。
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僕くのような田舎の少年にとって「ビーチ」はとっても「モダン」であり映画、テレビでしかみられないような遠いところであった。
ビーチといえば芸能人(なんと古臭い言い方)と大磯ロングビーチ、湘南、サーフィン、加山雄三、ワイルドワンズ、荒井由実、サザンと・・・・当時まさに僕にとって「ビーチ」は憧れの場所だった。
それにひきかえ当方、内房・外房、九十九里、潮干狩り、海水浴、さざえのつぼ焼・・・・ビーチではなく何とか海岸・・・なんというこの格差。
純真な少年はいつか水着姿の美少女に囲まれてあのビーチに立つことを夢見ていたのだが・・・・・・。
ところで先日テレビでビーチバレーの北京オリンピック代表選手のインタビューをしていたが、いつも良く見る歯が白く笑顔の可愛い女性ではなかった。よく聞いてみるとよくテレビや雑誌のグラビアにでている美人選手のチームは日本ナンバーワンではなく、このインタビューを受けている精悍な顔つきの女性のチームが代表だった。知らなかった。
この間、オジサン連中で飲んでいるときの話題。「オグシオ」のどっちが好きか?僕はとっちがオグで、どっちがシオか分からないのでどっちでもいいが、是非頑張って好成績を挙げてもらいたい。フルネームを覚えよう。
ところでビーチバレーはオリンピックの種目になるくらい有名になったが、聞くところによるとビーチサッカー、ビーチラグビーもあるらしい。
だったらこのクソ暑い中(だんだん下品な言葉使いになってきた)、ビーチゴルフ、ビーチ野球、ビーチソフトボールなんかもいいんじゃーないかな。
重たいクラブバッグを持たないでサンドウェッジ1本のみ。1ラウンドもやれば全英オープン並のバンカーなんかなんのそのの腕前に。
ビーチ野球・ソフト、攻撃側はみんな海に浸かって打順を待っているの。打ったら泳いで一塁へ・・・・。みんな水着で。涼しくていいだろな。
なんだか言っていることが支離滅裂になってきた。今日は大暑、1年で一番暑いとのことだから脳がヒートアップしていくのもしょうがないかな。
もう朝から頭のなかをビーチボーイズの歌がぐるぐるかけめぐっているのです。まあ、夏の到来と同時に僕も例年通り「うつ」から「躁」へ切り替わってきたようす。・・・・やれやれ。
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今日、高校の同級生と久々の再会。少しはしゃぎすぎてしまったかな。
僕は高校生時代、やや斜に構えるところがあり、クラスの皆と距離をおくようなとことがあった。こんな自分を誘ってくれるクラスメイトに感謝、感謝。
皆元気で再会することの意義、なんとすばらししいことなんだろうと感じている。拓郎の歌ではないが、自分は今日までいろいろなことがあったがなんとか生きてきた、これからも相変わらず今日の延長線で生きていくのだろう。中島みゆきではないが、いやおうなしに時代はめぐっていくのである。出会いがあれば別れもある。これは人生の必定でどうしようもない。
だからこそ、みんな元気で再会することはなによりも変えがたく、人生の宝物と言えるのではないか。ただ元気で再会するだけでいい。
そう思うと今感じる幸せに思わず胸が熱くなる。
また皆と元気に会おう。
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世の中の歌のおおよそ8割が別れの歌ではなだろうか。(数字は嘘っぱち)
僕の通勤途中のある駅だがホームの真向かいにダンススクールがあり、まさに映画「シャルウィーダンス」のシチュエーションそのものって感じのところがある。今日も電車の中から何気なく見ていたが、ふっと「ラストダンス・・・・」という言葉が浮かんできた。
「ダンスと別れ」のテーマの曲って何があったかな~っと、それから家に着くまで考えっぱなし。(もっと役に立つことにこれだけ集中できれば僕の人生、もっと変っていた・・・かな?)
シャンソンの「ラスト・ダンスは私に」越路吹雪、アメリカのコーラスグループ「ドリフターズ(いかりや長さん、カトーちゃんではない)」が有名。寅さんの妹、さくら役(僕の憧れ、寅さんシリーズは48作全て観た)の賠償千恵子が歌っていた「さよならはダンスのあとで」。それと千昌男の「星影のワルツ」・・・は、「ワルツを踊ろう」ではなく「ワルツを歌おう」だったかな。井上陽水の「ダンスはうまく踊れない」というのは別れではなかったかなとかなんてずっと電車のなかでいろいろ思い出していたが、ほかにも何かあったかな。
だけど真っ先に思い出したのは「ラスト・ワルツ」。(ザ・バンドのラストコンサートのではない)
いろいろな人が歌っているがすぐに思い浮かぶのがエンゲルト・フンパーディンク。トム・ジョーンズに負けず劣らず声を張り上げ男のフェロモンを撒き散らすような品格のかけらもない歌手で、この美しいメロディーが台無しとなっている。(と、思う)
ここでお薦めなのは村治佳織のギターだ。武満徹編曲。いまにも消えそうな可憐なタッチでひたすら哀しく、さびしく、美しく、だが絶望感など微塵もないキリットした演奏。息遣いまで聞こえてきそう。
出会いがあれば別れは必定というが、男も女も別れの美学というものはあるのだろうか。
しかし最後のダンスっていうのはやっぱり悲しくさびしいものだね。だからこそラストワルツはより美しく可憐なメロディであらねばならないと思うのです。
と、いうのが家に着くまでに達した結論。
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言うまでもなく江間章子作詞、中田喜直作曲のあの有名な「夏の思い出」の出だしの歌詞である。いつの頃からか梅雨が明けそうになると突然僕の脳裏にこの曲が突然なり始める。そして行ったこともない尾瀬の風景、水芭蕉が浮かんでくるのである。
そして今年も今日突然やってきた。会議中にふと窓の外に目をやったとたん「なつがく~れば、思い出す・・・」と。それからはあやふやな歌詞ではあるが何回も何回も頭の中を繰り返し流れるのである。もうそれからは意見を求められてもなにを言われても我が心はすでにはるか尾瀬沼に飛んでいっちゃってるのよ。
まあ一番好きな季節、夏がやっと来るという、心の奥底のワクワク感がそうさせるのかな。真夏には自分の地味な性格に似合わず、原色それもビビット系の色の服を着て出歩きたいと思っているのです。夏は強烈なコントラストが良く似合う。
短パンにアロハ姿、サングラスなんて最高だね。
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ここ数年よく聞く歌手の一人にアン・サリーがいる。ジャズ風、カントリー風、ボサノバ風、日本歌謡などのいろんなレパートリーを歌いこなす、すごくうまい歌手だ。
ただうまいだけの歌手は他にもいるが、アン・サリーはなにか不思議な魅力を持っている。
歌詞が日本語にしろ、英語にしろ、ポルトガル語にしろ、明快であるということ。それとジャズでいうスイング感がすばらしい。そのような歌のうまさはまるでジョニ・ミッチェルを彷彿とさせる。
しかし一番の魅力は僕が勝手に名づけている「アン・サリー節」(演歌でいう「節回し、こぶし」みないな感じかな)が歌に独特の味付けをつけている。これが大きな魅力となっている。(僕の貧困なるボキャブラリーでは説明不可能、実際に聴いて感じるしかない)
また蘇州夜曲、星影の小径、椰子のみなどの古い日本歌謡もカバーしていて、歌詞・メロディーの美しさを蘇らせている。
昨年リリースした「kokorouta」はある意味アン・サリーの向かっている方向性を示したCDで僕の愛聴版となっている。特に武満徹の「翼」は軽やかなアレンジでいたるところに散りばめられた「アン・サリー節」が石川せり、小室等などこの歌を先に歌った人達とは一味違うすばらしい出来上がりになっている。(と思う)
今後どのような歌をリリースするのか注目している。
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作り物、というとなにか今話題の偽装っぽい感じがするが、これは映画の話。
ここのところ立て続けに映画を観にいった。三谷幸喜のマジックアワーとインディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国。
とても楽しめた作品だった。それは両作品ともに、「絶対にありえない・・・、そんなアホな・・・、いかにも作り物・・・、」といったバタ臭いエンターテイメントの匂いがプンプン。ストーリーの整合性、理屈なんかあまり考えずに作り物の面白さが素直に楽しめる映画だ。
韓国映画をはじめ最近の映画はあまりにもリアルすぎないか。まるでドキュメントを見ているよう。(乱闘シーン、銃撃シーン、性描写もいかにもリアル、役者も大変だなぁ)(インディ・・・・では銃で撃たれても血だらけになるシーンはなかった)
まあ、そうはいっても僕の大好きな映画、超大作ゴッドファーザーはアメリカの裏社会をまるでドキュメントのようにリアルに描いているし、昨年見たミュンヘン(実際の出来事の話し)はもう大変良かった。・・・・最初に言っていることと矛盾してるが・・・・。
実を言うと最近あまり深刻な映画は疲れるのであまり観たくないのだ。理屈っぽかった若い頃と比べ映画の見方が随分変わったなあと実感。オールウェーズ三丁目の夕日なんかは続編まで見てしまった。感動で思わず涙うるうる・・・。
いずれにしても「変に教訓的な映画」、また最近よくある「子供、動物、不治の病・・・」的な映画は絶対に観にいかないと思う。
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昨夜この梅雨時には珍しく星が見えた。例年七夕は天候が悪く肝心の天の川を見ることはまれになってきている。帰宅途中思わず足を止め夜空をしばし仰いだ。そしてふっとO君のことを思い出した。彼の故郷は本当に降るようなと表現してもおかしくないほど夜空の星がきれいなところだった。
学生時代の仲間だったO君が死んだのは梅雨の明けた7月末だったそうだ。2003年の8月の暑さ真っ盛りの時期にその知らせを聞いた。そして彼の実家のある蓼科にお悔やみに向ったのは燃えるような紅葉まっさかりの中だった。
彼とは卒業後、2~3回蓼科へ遊びに行き会ったが、その後私は家庭を持ち連絡も途絶えていた。若い時分であればもっと受け止め方も異なっていたかもしれないが、40歳も半ばを過ぎ昔の仲間の訃報を聞いたときはこんなにも悲しいものなのかと実感した。訃報を聞いたとき彼の夢をみた。夢の中の彼は学生の時そのままのくちゃくちゃの髪、細い目、ややはにかんだような笑顔で物も言わず立っている。私は夢の中で声を上げて泣いた。「おまえ、なにをしているんだ。みんな心配しているんだぞ」と。
私は夢は良く見る方だが夢の中でこのように気持ちを高ぶらすことなど今まで経験したことはなかった。それほど自分にとって昔の仲間の訃報はショックだったのだろう。
この歳になると同年代の訃報に接することはそんなに珍しいことではない。だからこそ今昔の仲間と無性に会いたくなる。なぜか、悔いを残さないために・・・・・。
今年も遠雷が聞こえ梅雨が明け暑い夏が始まるとき、O君の命日がやってくる。今年は彼が良く話しをしてくれた八ヶ岳、蓼科山を見に行こう。今宵そんなことを思いながら形見にもらったレコードに針を落とす。はるか30年前、彼の下宿で聞いた心を包み込むような小椋佳の歌声が今も変らずに流れてくる。
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諏訪哲史の「りすん」を読みました。(前作「アサッテの人」で芥川賞を受賞)
はじめから終わりまですべて会話でなりたっていて、またこれが意味のあるようなないような、どうでもいいような会話の連続。活字にするとこれがまた読みにくい。これって本当に小説?といった感じでトップページを見たとたん読むのやめようかなと思いたくなるようなのが第一印象でした。
ところが主人公の隆志と朝子の兄妹の会話を読み進むうちに、だんだんはまり込んでいき、もう最後にはこの兄妹(実際は色々事情があり本当の兄妹ではない)の会話が「哀しくて」「せつなくて」「いとおしくて」、僕の胸をだんだん熱くしていきます。そして思わず二人の会話に参加したくなるような。最後の展開はここでは書かないが本当に感動しました。
そして分かったのだが、この小説は会話を読むのではなくて聞くのですね。readではなくlisten(りすん)なのです。いつまでも二人の会話を聞いていたいな~という気持ちになります。まあ一言、面白かったです。
ということで、また面白い本に出会ったら感想書きます。(児玉清さんのような書評はできませんが)
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ジャケット買いといっても洋服ではなく、レコード・CDアルバムのジャケットのこと
先日、ラジオにジャズバイオリニストの寺井尚子が出て、ジャズプレーヤーへ転身するきっかけについて話をしていました。偶然出合ったあるアルバム。中身もよく知らないままジャケット買い。それがその後の彼女のジャズバイオリニストとしての人生のきっかけとなったとのこと。(余談だが寺井尚子ってかっこいいですね。黒いパンツ・スーツにハイヒールでステップを踏みながらスウィングする。いやー見せますね)
本当に雰囲気のあるアルバムジャケットって、少しカッコつけて言うと「音と映像の一体化」というのかな。脳裏に曲と一緒に刷り込まれていく感じです。(映画音楽も同じ)
それでは数ある僕の好きなアルバムジャケットから一点だけ紹介。
このブログのタイトルに拝借したビル・エバンスのグリーン・ドルフィン・ストリート、このレコードの思い入れについてはまた別の機会に書きますが、とにかくこの曲が大好きなのです。またマイルスデイビスを始め多くのジャズプレーヤーが演奏していますが、このレコード:Bエバンス、フィリーJジョーンズ、Pチェンバースのトリオのが一番好きなのです。朝もや、石畳の通り、子供とガス灯(?)。もうこれ以上無駄な言葉は不要ですね。
ああそういえばこの間、家人から「あなたは美人ジャケットでCD選んでない?」などと失礼なことを言われた。そういえば最近購入しているCDは、クラシックギターの村治佳織、ジャズピアノの山中千尋、アキコ・グレース等々・・・・。うわー本当に美人ばかり。
まあ演奏者を顔で選ぶ、なんてことはないですが、たまたま偶然美人だったということでしょうかね。でもね、この間買った山中千尋のアフターアワーズ。付録でポストカードが付いてきましが、しっかりと机の上に飾っております。
(ところで今テレビに太田裕美が出ています。おお懐かしい)
こんな話し、だらだらと際限がないので今日はとりあえずこの辺でおしまい。
なお冒頭の寺井尚子の話。ビル・エバンスのワルツ・フォー・デビーです。
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最初に・・・
つれづれなるままに~なんて吉田兼好の徒然草ではないですが
この言葉のとおりに日々思いついた事柄を
ただだらだらと書き散らしていきます
たしか、土佐日記だったか、どうか
「世間で流行っているもの、私もやってみよう・・・・・」
みたいな事が書いてあった思いますが(間違っているかな?)
まあ、そんなことでとりあえずスタートします
なおブログタイトルの「夢の中へ」の意味はとくにありません
たまたま今日ラジオで井上陽水のこの曲が流れていたので拝借しました
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