カミーユ・モネ
ぼくは絵画については全くの素人
モネ、マネ、ルノアールの違いもよく分からないといったレベルである
そんなぼくが最近モネの画集を何回も眺めている。といっても、知っているのは睡蓮くらいだったが
しかし懲りずに何回も眺めていると、カミーユ・モネが描かれている絵をまるで恋をするように観るようになってきた。(「恋をするように音楽を聴く」(村上春樹)ではないが)
カミーユ・モネはモネ夫人
彼女モデルとなって描かれている絵を画集の掲載順に並べてみると・・・
1866年カミーユ(緑衣の女性)、1876年ラ・ジャポネーズ、1867年庭の女たち、1879年死の床のカミーユ・モネ、1868-69年夕食、1868年昼食、1870年トゥルヴィルの浜辺、18685-66年草上の昼食、1873年アルジャントゥイユのヒナゲシ、1873年昼食、1873年アルジャントゥイユの画家の家、1873年赤い頭巾モネ夫人の肖像、1875年散歩、日傘をさす女性、1875年庭のカミーユ・モネと子供、1871年瞑想、ソファに座るモネ夫人
1879年死の床のカミーユ・モネ、白いベール(光を受けてやや茜色に)に包まれた夫人の死に顔、どんな想いで描いたのか?
1866年カミーユ(緑衣の女性)、1876年ラ・ジャポネーズ、ちょっとすましたポーズの緑衣のカミーユ、日本の打ち掛けの着物を着た得意げなポーズのカミーユ
1873年アルジャントゥイユのヒナゲシ、ひなげしの花が咲き乱れた丘を下るカミーユと子供、空には白い雲
1873年昼食、花々が綺麗に咲いている庭での昼食後、午後の日なたと日陰、白っぽいドレスのカミーユ、ベンチには畳まれた日傘
1875年散歩、日傘をさす女性、丘の上の日傘をさした少し憂いの陰を宿したカミーユと息子のジャン
(こんな感想文にもならないような拙い文章で恥ずかしいが・・・、特にぼくが好きになった絵)
・・・・・ぼくのモネの絵を観る目が変り、印象も変っていく
おそらく、見る側(ぼくの)のココロの変化も絵の印象を変えていく要因のひとつなのだろう
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コメント
モネ=睡蓮と思われるように睡蓮の作品は多いですね・・・
モネは隣接する土地を買い(小川や池を含むものであった)そして端に日本風の橋(太鼓橋)を作り、その下の睡蓮を描くようになったそうです。
ゴッホも浮世絵の影響を受けてると言われてますが、ゴーギャンの絵の中にも団扇が描かれてるものがあります。
今、東京国立近代美術館で「ゴーギャン展」が開催されてます。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
の作品は、ゴーギャンの遺言とも言われ最高傑作でもあります。 意味の深い作品を鑑賞するひと時があってもいいですね
投稿: キャサリン | 2009年7月15日 (水) 10時10分