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2009年1月

青春の光と影

最近朝、受験生だろう、通勤電車に乗り慣れない中学生、高校生をよく見かける。これからが受験本番を迎えることとなる。

いくつになってもこの時期になるとなにか、不安、切なさ、それとかすかな希望、等々が入り交じった、胸がきゅんと痛いような、甘酸っぱいような感情とらわれる。

当時、「いちご白書」という映画観て、「ああいう大学生活をおくるのかなぁ」と漠然としたイメージとともに憧れも膨らんでいったように思う。

そしてよく聞いた曲が、この映画のテーマソングとなっていた サークルゲーム、 そして同じジョニ・ミッチェルの 青春の光と影(Both Sides Now) 

漠然とした不安、寂しさと希望、それと「何か始めなけばならないが、それが何か分からない」といった焦り・・・。

これらの曲のメロディー、歌詞に自分の想いを重ね合わせた日々を思い出す。

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カノ国とコノ国の違いについて考える

いきなり小沢昭一的こころ風なタイトルになってしまったが・・・・。

カノ国の新大統領の就任式ではカノ国だけでなくコノ国でも大変な盛り上がりをみせている。正直言って「カノ国がうらやましい」と漢字が読める読めないでしか話題のないリーダーを戴いているコノ国の国民はみんな思っている。

200万人が集まり、歓喜の渦、中には涙を流す人もいる。

この国民の違いはなんだろうか?

カノ国では、独立戦争、南北戦争から公民権運動、ベトナム反戦など、国民がそれぞれ血を流してさまざまな権利を勝ち取ってきた。

それに引きかえコノ国の国民はすべての権利はお上から与えられてきた。

近代化に向け大きなターニングポイントになった明治維新においても、西洋の国にならって一等国になるという国の方針のもと、国民は納税の義務を負わされるとともに選挙権などの権利をお上から与えられた。

カノ国のマーティン・ルーサー・キング牧師たちが行った公民権運動のように血を流して権利を勝ち取るという歴史がコノ国にはなのである。

コノ国の60年70年安保、ベトナム反戦、全共闘運動などについても、高度成長期にどんどん豊かになっていった国民から共感を得ることなどできただろか。

まあようするに、権利を勝ち取ってきた、リーダーを直接選んできた国民と、なんでもお上から与えられ、誰が首相になっても一緒なんですよ・・・なんて考えてきた国民との違い・・・だと思うのです。

オバマ新大統領の感動的な就任演説を聴きながら、あぁ~うらやましい~。

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ちょっと気になること

ここのところ、冬晴れが続いているが、やはり風は冷たく寒い。

こんなとき、公園や空き地でふっと陽だまり(日溜り)を見つけると、なんとなくうれしくなってしまう。ずっとこのままでベンチで座っていたい。

そんな気分に浸りながら、以前からちょっと気になっている、というか心に引っかかっていることがある。(こんな表現をするほどのことでもないが・・・・・)

「道」という映画がある。フェリーニの有名な作品で、もっとも映画の内容よりもニーノ・ロータの哀愁を帯びたテーマ曲「ジェルソミーナ」の方が有名かもしれない。

映画の最後の方でその主人公の薄幸の女、ジェルソミーナが大道芸人ザンパーノ(だったかな?)に捨てられる場面。

うろ覚えなので詳細は違っているかもしれないが、雪の残っている道端の、塀の前か、木の下だったか、陽だまりのなかにジェルソミーナが置き去りにされる。

冷たそうな風が吹くなか、陽だまりの中に横たわる病身のジェルソミーナは、どんな目をしていたかなあ?

捨てられたことによりすべてを諦めた目、それとも残忍なザンパーノから離れられた安堵の目、それとも陽だまりのなかにいる心地よさの目・・・・。

それともこの場面ではジェルソミーナの顔のアップなどなかった?

これらはぼくの後からの想像?

こんなことが気になっている。

そんなの映画そのものを図書館かレンタルで借りて観れば話しは早いじゃあないか。

・・・が、もう少しこのままで、気になったままでいよう。

そして冬の陽だまりを見るたびに思い出す、そのやさしい眼差しを。

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セザンヌ主義

今日、横浜美術館にセザンヌ本人、それとセザンヌから大きな影響を受けた画家達の展示会にいってきた。

ぼくのような素人にも分かりやすい展示コンセプトで、説明も丁寧、とても親切な企画となっていた。

印象主義と呼ばれる作品の「光、影、色彩、質感・・・」を素人なりの見方ではあるが個人的に十分楽しめた。(ド素人のずうずうしさで勝手に作品を解釈なんかしちゃったりしているが、専門家に言わせると全く見方が違うのだろう。)

絵画の展覧会を見てもいつも思うのだけれど、実物は印刷・映像なんかとは全然ちがうなぁ、迫力が、質感が、色彩の鮮やかさが、まあ当たり前か。

一枚くらい自宅のリビングに飾り毎日みていたいな、と思った次第。

それと鑑賞中に、恋人同士なのかなにか知らないがうんちくを他人の耳元で語ることはやめてもらいたい。

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サポーターになる

サポーターといってもサッカーなどのスポーツの応援ではない。

昨年からパレスチナ自治区ガザでは、イスラエル軍の攻撃により多くの一般市民が被害蒙っている。その中に少なからずの子供達が巻き添えとなっている。

「果てしない苦痛の始まり」と現地メディアでコメントされるほど混迷を極めており被害地域の医療、食料支援も滞っている。

また、このガザ地区だけでなく、今、世界の多くの国で紛争がおきており、多くの女性・子供たちが悲惨なめにあっている。

弾丸・ミサイルが飛んでこない対岸にいるどこかの国の政治家、文化人たちは、ウソの涙をながすだろうし、ウソっぽい憤りを表すのだろう。それはぼくたちも同類。

だが、今まさに悲惨な現場で現実に支援活動している人たちがいる。このガザ地区にもいち早く入り活動開始している人たちがいる。

だんぱぱさんのレスにあったように対岸にいるぼくらはなにもできないのだろうか?

いや、ぼくらのできることは・・・・・、

世界中で今何が起こっているか知ること、そしてその現場で危険をかえりみず、どのような支援が、どのような人たちの手で行われているか知ること。

そしてその支援活動している人たちのサポーターとなること。

さらに、たとえこれを偽善といわれたとしても、そのサポーターを続けることだと思う。

**ユニセフ http://www.unicef.or.jp

**国境なき医師団(MSF) http://www.msf.or.jp

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年始

何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし(啄木)

と、いうが・・・・。

まあ、自分としては、何となく、相も変わらず、で、また一年を過ごしていくのだろ。

如何せん、良いも悪いも、生まれてからずっと付きあってきたこの性格なので・・・・(性懲りもなく)。

ただ、周りのいろんなものから受ける感受性だけはもっと豊かになりたいと、ちょっとだけ思っている。

それと、時分の遊びに身をまかせるという道(五木寛之さんか言っている)も楽しんでみたい。

・・・と、つらつら思った年始でした。
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