人は生きているだけである意味苦行難行をしているようなもの。人をキズつけ、人からキズつけられ、そして行き詰まる。漱石ではないが「兎角、この世は住みにくい」
人が生きていくということは、身をすり減らしながら歳を重ねていくことだね。
な~んて、ただでさえ暗いニュースがあふれているこの年末にそんなこと考えなくてもいいのだが、ちょっと思うことがあって。
人間どんなに悩んでも、泣いても、わめいても・・・、夜が来て、そしてまた朝が来ていや~な一日が始まるんだな、これが。
そこで、どうせこのツライ現実が変えられないのであれば、いっそのことさっさと肯定してしまおう、逃げずに。良いも悪いも、自らの心の中でケリを付けてしまうのだ。
バカボンのパパ的な積極的現実肯定「コレデイイノダ」、ノーマルな現実肯定「まあこれでいいんだね」、消極的ややあきらめ的現実肯定「まあ、こんなもんだね。トホホ」・・・方法はいろいろあるが。
要するにどんなに考え込んだってしょうがないのであって、さっさと飯食って、酒のんで、好きな音楽聴いて、楽しかったことを思い出しながら、寝てしまうって考え。
人の悩みなんて、本当はこんな簡単なことではないかもしれないが、ひょっとしたら意外と簡単なことかもしれない。
以前聞いた話だが、あるオリンピックのメダリストが、その後自らのアイデンティティーを見失い失意のうちに死を決意、駅のホームの端に6時間立っていたとのこと。そのうちふっと「お腹が空いたなぁ」と感じ、そしてお腹いっぱいご飯を食べ、それからは持ち前のバイタリティーでその後の自分の人生を変えてしまったとのこと。
結局、現実から逃避したらダメ。逆にツライ現実を、勇気をもって直視し、肯定する。そして、これが大事なのだが、ついでに自分も肯定し、ここまで生きてきた自分を「よくやってるよ」ホメテやる。そうすればちょっとでも、いい方向にいけるかもしれない。
(少し安易すぎるかもしれないが、ツライときはコレデイイノダ)
まあ、ぼくのようなノー天気な人間でも時々はこんなことも考えているのです。
付録:フーテンの寅さんが甥の満男からこう聞かれた「伯父さん、人間はなんで生きているの」。寅さんはこう答えた「・・・・・まあ要するに、生きているうちに2回や3回、ああ生きてて良かった・・・って思うことがあるだろう。そのために生きているんじゃあないか」
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